巡回監督はせめて会衆のスケジュールに合わせて訪問してくれたほうがよい

 僕が変に思っているのは、巡回訪問や地域大会という特別なイベントが、会衆や個人の側に負担をかけるものになっていて、それを支持するかどうかで、忠誠をはかるというようなものになっていることだ。

 巡回訪問や地域大会があると、仕事のスケジュールを調整しなければいけない。巡回訪問は、集会の日数が一日増えて、集会の曜日も変わる。地域大会は、金曜日に休みをとらなければならない。そして、悪いことに、これに参加しているかどうかが、バプテスマの前提条件となっている。

 寄付金で生活している人たちが、無償で活動をしている人たちに、日程を調整させるというのは、そもそも変だと思う。それはまったくの逆で、寄付金で生活している人が、無償で活動している人たちの日程に配慮を払わなければならない。

 だから僕の提案は、巡回訪問の日数を減らして、会衆の曜日に合わせることと、地域大会の金曜日をなくすることだ。普通に仕事をしている人が、普通に参加できるようにしたほうがよい。

 巡回監督への忠誠で、神への忠誠を図るというような愚行はもうやめたほうがよい。巡回訪問をお祭り騒ぎにしたり、巡回監督を過度にもちあげたり、巡回訪問で、心が忙しくなったりする必要はない。

 巡回監督は、自分が会衆の寄付金で生活しているということをもっと自覚して、長老や奉仕の僕に、厳しくしたり、めんどうなことを影で押し付けるというようなことはやめてください。

 また自分の意見をいったり、支部の意見を会衆に押し付けたりすることは、そもそも間違っていて、対話をしてください。長老たちも巡回監督と話し合いができるように、がんばってください。

 一方的に押し付けられる話を巡回監督からされるとか、一方的に諭されるというのではなくって、聖書から話し合いができるようになってください。話し合いというのは、一方的なものではなくって、双方が意見を言うということです。

 巡回監督も支部の人に頭を下げて、ぺこぺこしているのではなくって、会衆の実際の問題を持ち帰って、支部の人と聖書から話し合いをしてください。一方的に、支部から諭されるのではなくって、双方向のコミュニケーションをとってください。

 組織に従うという考え方は、聖書には存在しません。ですから、話し合いをするときに、組織に従うという言葉で、押し通そうとしないでください。ひとこと目にでるのは「組織は、組織は」という言葉ではなくって、神の言葉であってください。それが、一方的なものではなくって、お互いに話し合えるようになってください。

 巡回監督や日本支部は、自分の権威を使うということに対して、ほとんど何も考えずに、行使して、会衆をぎくしゃくしたものにしています。事務的な手続きばかりに、始終して、心を見ていません。

 会衆にスケジュールを調整させるということも、傲慢な態度のひとつだと思います。そのようにして、自分への忠誠を会衆に試させています。会衆からの寄付金で生活しているのですから、会衆のスケジュールに配慮して訪れるというのが、筋ではないですか。

しかし,たとえそうであるとしても,わたしはあなた方に重荷を負わせることはしませんでした。
(コリント第二 12:16)

 パウロを見てください。よいたよりのために、会衆に何の負担も背負わせませんでした。

 巡回監督は、寄付金で生活していることで、金銭面での負担を会衆に負わせています。またスケジュールを調整させるという面でも、会衆に負担を負わせ、食事や宿舎の提供という面でも、会衆に負担を負わせています。このことを自覚してください。

 できるなら、パウロのように自活して、会衆に何の負担もかけないようにして、訪問してください。