方言を否定を取り除く

 じぇじぇじぇ、ぴゅうでーす。方言はみなさん好きですか。僕は、好きです。東京中心という価値観がそもそもゆがんだものであって、最近は、多くの人が、地方の多様性を尊重するようになってきていますね。

 しかし、池畑重雄兄弟が率いる日本支部は、いまだに、東京を中心とするゆがんだ思想に染まってしまっていて、方言を否定し、標準語こそが、話すときのよい言葉なのだというゆがんだ価値観を保持しています。

 さらに悪いことに、日本支部の調整者の代表の、池畑重雄兄弟は、特徴的な話方をして、許されているのに、会衆の兄弟に対しては、もし、池端兄弟と同じような話し方をしたら「ふさわしくない」といって注意を行うことでしょう。地域監督、巡回監督、会衆の長老は、上には弱く、下には強制するという、ダブルスタンダードを続けています。

 他のブログを読んでいると、エホバの証人の兄弟が、女のような不自然な変な話し方をしているという指摘がありました。この原因の一番目は、その人本来の話し方をしたとすれば、それはふさわしくないといって、指摘されて矯正されるという現実があります。

 表には出しませんけれども、巡回監督や長老は、裏側では、このことを強く言っていて、それに従わないならば、反抗的とみなして特権を与えないという、パワーハラスメントに近いことを行っています。

 池端兄弟、巡回監督や長老が、会衆でこのようなことをしているということを知っておられますか。あなたの目からは見えないかもしれませんけれど、日本中の会衆ではこのようなことが行われています。

 聖書にはこうあるのです。

こうしてわたしは、ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになりました。... 何とかして幾人かを救うためです。
(コリント第一 9:20, 22)

 これをあてはめるのは簡単で、じぇじぇじぇ、東北に住む人に対しては、東北に住む人のようになるということです。つまり、そこに住む人々の、風習や服装や話し方について、何か変えさせるような矯正を行ってはいけないということです。イエス・キリストが多くの人にのべ伝えられるために、そのような部分に対しては、譲歩を行うのです。

 その人を自分たちエホバの証人に合わさせるのではなくて、エホバの証人のほうがその地域に住む人たちに譲歩するのです。日本支部は、これとはまったく反対のことを行ってきましたし、いまだに行っています。ぜひ、方針を転換してください。

 自分たちにあわさせるという傲慢を取り除いて、罪ではない分野においては、譲歩できる人になってください。僕たちは、イエス・キリストの名のゆえに、多くのことにおいて譲歩するのです。神が、僕たちに譲歩してくださったように、僕たちも隣人に対して譲歩するのです。

 多くの罪があるといっても、エホバは、イエス・キリストの血を通して、許すということを行ってくださいました。神は、罪のゆえに裁くということを行わずに、罪があるけれども、イエスへの信仰によって、義とみなすという譲歩を、僕たちに示してくださったのです。

 ですから、どうか、強情な人になるのではなくて、譲歩できる人になってください。