奇妙な教えを取り除く方向性で動く - 改善案

 教理面で見れば、エホバの証人は奇妙といわれるような教理を保持しています。代表的なものでいえば、西暦前607年にエルサレルが崩壊したという見解、1914年にイエスが再臨したという教理、1919年に忠実で思慮深い奴隷が任命されたという教理などです。

 また、啓示の書にでてくる野獣は国際連合を表す、ダニエル書にでてくる巨大な像の足の部分は、イギリスと米国を現すといった教理もあります。その他細かな点を述べたら、その数はとてもたくさんなものになります。100年ぶんのごみが、エホバの証人の上には、積もりに積もっています。

 「理解は変わるが、真理は変わらない」と述べる人たちは、違う理解を示した人を、背教者とみなして、排斥を行ってきました。もし、理解が変わるものという自覚があるのであれば、そこには間違いを含んでいるかもしれないということなのに、どうして、違う理解をしめした人を排斥にすることなどできるでしょうか。

 だから、ものみの塔協会は、表面的な繕いと、実際にやっている行為には、大きな矛盾があります。

 今エホバの証人に必要なことは、独自性を打ち出すことではなくって、奇妙な教理、奇妙や教え、奇妙な支持をこれ以上増やさないことです。そして、奇妙な教理を減らしていくことです。これらの奇妙な教理のせいで、神とイエスに近づくことができないと、人々が感じるならば、それは、本末転倒なことを行っています。

 「奇妙な指示であっても受け入れるように、盲目的に従うように」と、ある人たちはつぶやきます。「それが命への道です」と、偽りを語ります。けれども、僕たちは、神の言葉を行うことを土台としているのではありませんか。

エス・キリストは,昨日も,今日も,そして永久に同じです。さまざまの奇妙な教えによって運び去られてはなりません。
(ヘブライ 13:8-9)

 さて僕たちは、これから信仰の試みにあうことになります。それは「奇妙な教えでさえも従いなさい」という人間の言葉と「奇妙な教えによって運び去られてはなりません」という神の言葉の間での葛藤があるからです。

 神を愛する兄弟・姉妹のみなさん、人間の言葉ではなくって、神の言葉に従う方向で動きませんか。奇妙な教えを退ける方向で動きませんか。



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