正直さについて

 僕たちは、日々の生活で実は嘘をついて生活しています。自分は正直だと思っていても、実はそうではないんです。正直でいたいと思いますか。はい。だれもがそう思います。けれども、世の中は、僕たちが正直であることを、なかなか許してはくれません。

 正直でいようとすると嫌な思いをすることがとても多いです。でも、本当のことをいえば、お互いに正直に話して、お互いを受け入れて、お互いを尊重して、お互いを許しあうほうが気持ちがいいんです。

 日本は特に、本音と建前の文化を持っています。実際僕は感じますけれど、目の前にいる人が、本音を話しているようにみえて、実は単に建前を話しているに過ぎないことがあります。ただ、僕の前では、僕にとって都合のよいことを話していて、裏側では違うことを話しています。そんなことが多々あります。

 もちろんこれはクリスチャン会衆の中にもあって、正直さを愛する人にとっては、住みにくい社会になっています。けれども、それでも正直でいることには価値があります。二枚舌を使ったり、表裏を作ったり、隠し事をしたりするよりは、正直で、告白しあい、許しあうことのほうが、神にとってずっと価値があるからです。

 僕たちは裏表を作って何か立派な装いをする人になる必要はないんです。格好が悪くてもいいんです。表面だけを作ろうとするならば、内面がひどいことになってしまいます。

そのように,あなた方もまた,確かに外面では義にかなった者と人に映りますが,内側は偽善と不法でいっぱいです。
(マタイ 23:28)

 神が求めておられることは正直に「そうだ、そうだ」「違う、違う」と言うことです。

ただ,あなた方の“はい”という言葉は,はいを,“いいえ”は,いいえを意味するようにしなさい。これを越えた事柄は邪悪な者から出るのです。
(マタイ 5:37)

 正直に「はい」とか「いいえ」という人は、世の中では冷たくあしらわれる傾向があります。けれども、正直でいるということは、神の目からみて立派なことなのです。