真実によって歩む
僕が、エホバの証人の社会にあって、ものすごく足りていないと思うものがみっつあります。それは「真実」と「公正」と「自由」です。エホバの証人は、このみっつの価値感を、ほとんど尊重していません。しかし、聖書の中にあって、このみっつの価値感は、とても大切なものです。
今回は、真実ということについて語ります。真実というのは、事実が正しいという意味です。過去に間違っていたことがわかったならば、その点については素直に認めることです。過去の信念に固執したりはせずに、今間違っているとわかったことを、素直に認めるということです。
事実を明らかにしていないのに、そのことで人を裁いてはいけません。秘密裏に決定されたことで、人を傷つけてはいけません。不都合なことを隠してはいけません。明るみに出して、事実を伝えて、間違っていたならば、謝罪すればよいのです。
間違いを素直に認めるならば、ある程度の責任を追えば、それ以上は責められません。いつまでも隠しておくならば、いつまでも責め続けられます。
組織が語る現在の真実という偽り
ものみの塔協会は、自分たちの不都合に関してどのようにエホバの証人を説得してきたのでしょうか。どのようにして、偽りを語りながら、自分たちが真実であると思い込ませてきたのでしょうか。
それは、次のような言葉のマジックによります。
たとえそれが間違っていたとしても、ものみの塔協会が語ることが現在の真実です。神の組織であり、聖霊の導きが働いているので、たとえ間違っていたとしても、従うことが正しいことです。
つまり、僕がいいたいことは、この言葉のトリックによって、エホバの証人の兄弟・姉妹が真実によって歩むということを、妨げ続けてきたということです。真実によって歩みたいと思う兄弟・姉妹は、会衆から排除され、この言葉のトリックを信じた人しか、会衆には残さないという方針を続けてきたからです。
長老や巡回監督にとっては、「真実」よりも「組織が語るの嘘」のほうが大切です。真実は彼らには何も与えてくれませんが、組織が語る嘘は、彼らに特権や目立った立場を与えます。恋愛や結婚においても有利になります。
長老たち、巡回監督、支部の兄弟たち、もうそろそろ、組織が語る嘘によって歩むことをやめませんか。その言葉は、現在の命を永らえさせるのには大いに役立つでしょう。けれども、それは永遠の命にとっては、何の価値もありません。真実を愛し、真実によって歩むことが、永遠の命の糧を天に蓄えることになります。
エホバ神は、真実な方であり、真実によって歩んでこられた方です。僕たちは、この方の姿を映す鏡として、人々の前で、神について語らなければならないのではありませんか。真実を愛する方エホバに仕えるならば、僕たちも真実によって歩まなければならないのではありませんか。
「真実」と「嘘」の両方に奴隷として仕えることはできません。「真実な方エホバ」か、「偽りを語る組織」のどちらか一方にしか、仕えることはできないのです。