落穂拾いに見る神の思い

 セーフティーネットという考え方を皆さんは聞いたことがありますか。セーフティーネットというのは、人間の生きる権利を最低限の部分で保障しようという考え方です。その人がたとえ、自分で働いて自立することが、事情や病気によってできないとしても、その人が生きれるようにしようという保障のことです。

セーフティーネットと落穂拾い

 このセーフティネットという考え方は、2000年以上前に書かれたヘブライ語聖書に明確にでてきます。それは、落穂拾いが、セーフティーネットそのものだからです。落穂拾いというのは、自分で作物を生産できなくて、自立ができない人のために、すべての田の穂を刈ってしまわずに、一部を残しておいて、その人たちが食べることができるようにするための制度のことです。

『また,あなた方の土地からの収穫物を刈り取るとき,あなたは自分の畑の端を刈り尽くしてはならない。あなたの収穫の落ち穂を拾ってはならない。また,あなたのぶどう園に残る物を取り集めてはならない。あなたのぶどう園に散らばったぶどうを拾い集めてはならない。苦しむ者や外人居留者のためにそれを残しておくべきである。わたしはあなた方の神エホバである。
(新世界訳聖書 レビ記19:9-10)

 「畑の端を刈り尽くしてはならない、苦しむ者や外人居留者のためにそれを残しておくべきである」と書かれていますね。「わたしはあなた方の神エホバである」というのも印象的でぐっとくる言葉です。

 苦しむ者や外国人のための配慮がなされているのがわかりますね。イエスラエル人は、かつてはエジプトでの奴隷労働で苦しんだ過去があります。そのときは、エジプトで、外国人として住み、そこで苦しめられた過去があります。だから、イスラエル人は、苦しみの経験者であったわけです。エホバ神は、その状況を見て、イスラエルを脱出へと導いたわけです。

 だからこそ、エジプト人がしたのと同じような扱いを、苦しむ人や外国人居留者にしてはなりませんよ、愛を示しなさいよ、食料の一部を残しておいて生きる権利を保障しなさいよという神からのメッセージです。

 「あなたがたは盗んではならない」とエホバ神は言いましたけれど、それと合わせて「苦しむ人のために一部の穂を残しておくように」とも言われたのです。この記述から、神の思い、神の愛というのが、どのようなものなのかということを知ることができますね。

 ドイツの優性主義なんかと、この落穂拾いの事例を比較してみるのは、面白いと思います。優生主義とは人類にとって優れた子孫をつくり人種改良をすることが、人類をよりよい方向へ導くという考え方です。そのためには、劣った人類は殺害してもよいというところまで思想が発展したのは、ナチスドイツの歴史を眺めればわかると思います。

 一方、聖書に書かれた神の思いというのは、たとえ自立できないとしても、苦しむものの生存権を奪ってはならないという考え方です。皆さんは、どちらの考え方が好きですか。