神に懇願した事例

 僕たちは、もしかしたら、神は絶対的な存在として教えられたという記憶があるかもしれません。そして、ただただ服従を求める神という印象を、教えられたかもしれません。でも、聖書を通して読んでみると、神に対してお願いすることや、懇願することは悪いことではないです。

 アブラハムモーセは、神の決定が重過ぎると感じたときに、神に懇願して決定を変えてもらいました。アブラハムの例は有名ですね。「もし義者が10人いるとしたら、その地を滅ぼしますか」とたずねて、神は「そのようなことはしない」とアブラハムに答えました。神は考えを変えたのです。

 モーセも、エホバの怒りが頂点に達したときに許しを求めました。

『主権者なる主エホバよ,ご自分の民を滅びに至らせることはなさらないでください。ご自分の私的な所有物,あなたがご自身の偉大さを示して請け戻し,強いみ手をもってエジプトから携え出されたその[民]を。ご自分の僕たち,アブラハム,イサク,ヤコブのことを思い起こしてくださいますように。
(申命記 9:26)

 エホバの怒りは頂点に達して、アロンとイスラエルの民そのものを滅ぼそうとしましたが、モーセの懇願によって怒りはとどめられました。

 どうして神は考えを変えるのでしょうか。その理由は、イエス・キリストの説明が一番ぴったりくると思います。

実際,あなた方のうち自分の子からパンを求められるのはだれでしょうか―その人は石を渡したりはしないではありませんか。あるいは,[子]は魚を求めるかもしれません―その人は蛇を渡したりはしないではありませんか。
(マタイ 7:9-10)

 「子供が父親に、パンを求めたら、父親は石を渡すでしょうか」とイエス・キリストは、たずねます。期待されている答えは明らかですね。神は愛する子供の願いを聞きいれてくださる方だということです。神は厳しい方ですが、愛する子供の願いを聞きいれてくださるということです。