「規則を定める」のではなく「天の父の思いを知る」ことが大切

 エホバの証人の兄弟・姉妹は、全体的に、規則や取り決めにそって歩むことが善い道であると感じているような気がします。規則や取り決めに従って、みんなが同じ振る舞いをし、同じ服装をし、同じように生きることが、よい生き方だ、そんな誤解があると思います。

 組織によって与えられた規則や取り決めに従って生きること、これを大きな価値だとかんがえているのではないでしょうか。組織に属している以上は、それとは異なった振る舞いをしてはいけないとか、それとは違う思考を持ってはいけない、そんなふうに考えていませんか。

 どうして、そんな風に考えるようになってしまったのでしょうか。それは、だれかが教え、また教えられた人が、ほかの誰かに教えてきたからです。けれども、聖書的に間違った考え方が広まるのは、僕はよいとは思いません。

 イエス・キリストがきてから、ひとつの大きな規則が取り除かれました。それは、律法は死んだということです。律法が死んだということの意味は、書かれた規則が死んだという意味です。もし規則を定めるのであれば、もう一度律法に引き返すことになります。

 しかし、イエスを信じる者となっている人は、もはや律法のもとにはいないのです。

霊に導かれているのであれば,あなた方は律法のもとにはいないのです。
(ガラテア 5:18)

 「夏であってもネクタイを着用しなければならない」という律法のもとにはいません。もし、巡回監督や長老が規則のように定めるのであれば、その行動をどうか注意してください。そこには、規則ではなく、自由があります。

 規則ではありませんといいながら、誘導するのであれば、それはもはや規則です。巡回監督や長老が特権をえさに、ある方向に誘導しようとするならば、それも注意してください。間違っていますよと。

 大切なことは、だれかが定めた規則に従って行動することではなくって、父の思いを知ることです。父の思いに従って生きることです。父の思いがどんなものかを考えて、自主的に自分の行動を決定する必要があります。

むしろわたしは言います。霊によって歩んでゆきなさい。
(ガラテア 5:16)

 見える規則ではなくって、見えない霊、見えない神によって歩んでいきましょう。