ものみの塔協会は、ベテルで貴族をやっているようにも見える

 ぴかぴかに磨かれた部屋、バスや洗面台に水滴が残ることも汚れることだと考える、あらゆる食事をフォークとナイフを使って食べる、食堂に入るときはスーツでなければならない。大きな庭を持ち、ベテルを楽園に一番近い場所だという。3週間に一回は、髪を整える。

 まるでベテルの生活習慣は貴族のようだ。ベテルのお屋敷を見に行って、感動し、何も知らされない民衆たち。そんな光景に僕には見える。ベテルの貴族たちは、民衆の金で食べ、民衆を愛しているというメッセージを送る。けれども、実際そこは嘘と隠蔽で汚れた場所だ。表面だけがきれいな虚栄の空間。

 ベテルの貴族には、会衆の末端の姿が見えない。小さな子供たちの姿が見えない。イエスが愛した子供たちの姿が見えない。排斥されていく人たちの声や心も見えない。そして知らないままに、自分の善を疑いを疑いを抱かない。特権を得るために、心を売り、いじめや無視や排除に加担する人たち。知らないということは、罪だ。