性を乱さないというキリスト教の価値感には価値がある

 性を乱さないという価値感は、キリスト教一般が持っているものだと思いますが、僕は、この価値感には価値があると思っています。若い子たち(中学生でさえ)は、知らず知らずのうちに、セックスに巻き込まれていくという現実があるからです。

ニコ厨オフ会の凄まじい現実

 自由でないセックスは時代遅れというメッセージは、西洋やテレビなんかは、流し続けてますけれど、これをそのまま間に受けて育ってしまった子供たちは、セックスに対しての、抵抗感がなくなってしまいます。反対に、処女だと恥ずかしいとか、童貞だったら恥ずかしいとか、そんな会話が、学生の間では流布されています。

 ちなみに堕胎の数はものすごい数ですよ。なぜだれも問題視しないのかは、不思議だけれど、だれも言わないからなんだろうなぁ。子供たちをセックスや堕胎から保護するという考え方があってもいいと思うのだけれど。なぜセックスしないと恥ずかしいという考え方に流れていくのか。