「神に導かれていると統治体が言っているので、統治体は神に導かれている」という循環論法

 僕は、長老たちと少しお話をしたことがあるのですが、結論の向かっていく先は、どの長老もだいたい同じで、「組織の方法」とか、「統治体が言っていること」とか、そういう方向に流れていきます。長老たちは、この考え方に、兄弟・姉妹を無理やり誘導していこうとします。

 意図としては、統治体に逆らうなとか、自分に服従させたいとか、自分の特権が危うくなるのを避けたいという動機が、裏に隠れているのが、僕には見えます。長老への相談というのは、やめておいたほうがよいと僕は感じています。

 結局「組織弁護のために、個人の考えを抑えるように」という方向でしか、長老や巡回監督は語らないからです。目の間にいる兄弟のことではなくって、組織のことしか頭にありません。

 僕はもっともっと根本的なことについて、一度考えてもらいたいと思っています。それは、次のことです。

どうしてあなたは、統治体が、神に導かれていると思っているのですか

 長老たちが答える答えは、「統治体が神に導かれているといっているから正しい」というものです。統治体がそういっているのだから、正しいというのです。これって、根本的におかしいですよね。循環論法です。

 いくつかの理由をこじつけようとする長老もいます。たとえば「エホバの証人は世界中で拡大し続けている」という人がいます。それでは、カトリック教会は何人の兄弟・姉妹を持っていますか。セブンスデーアドバンチスト教会は、何人の兄弟・姉妹を持っていますか。

 また「エホバの証人は真理を教えています。」という長老もいます。でも、西暦前607年にエルサレムが滅んだという偽りや、1914年にイエスが王となったという偽りを、教えていますね。これは、カトリック教会が、地獄の火の教えを維持し続けるのと何が異なるのでしょうか。

 また「世界的なすばらしい兄弟関係がある」という長老もいます。けれども、児童性的虐待裁判によって、悪い部分は、隠されているだけということが、明らかになっていますよ。エホバの証人の社会の中に、世の状態より悪い世があることを、みんなが知るようになっています。

 ですから、みさなん、統治体が神に導かれているという証拠は何一つもなくって、むしろ反対に、神に導かれておらず嘘を語っているという証拠しかありません。統治体は、たんに、自分たちを光の使いのように見せることが上手な人たちです。ただそれだけです。メッキはだいぶはがれましたけれど。

 ですから、もう統治体が言っているから正しいという論法を振りかざして、兄弟・姉妹たちを脅すようにするのはやめてくださいね。