子供の幸せってなんだろう

 まずは某掲示板に書き込まれていた書き込みを読んでみてください。

子供の頃から母に無理矢理やらされ、大学受験も就職もさせて貰えなかった いわゆるスレタイな者です。
 
子供の頃から、集会も奉仕も強制でただただ苦痛。もともとイヤイヤだから真面目になんかやる筈もなく、バプテスマの一歩前(もはや名称すら思い出せない)にすらならず。集会でも話なんか一切聞く気などなく上の空&居眠り。だから知識など皆無。個人研究なるものの時は何も答えられないから母親からは毎回暴力。
 
集会が嫌だと言おうものなら「ご飯食べさせない」「後でヒドイ目に遇わせてやる」と脅し殴る。 高校生くらいになり、脅しの効果がなくなると今度は言葉の暴力で私が泣くまで虐め抜く日々。
 
そのくせ外では模範的な姉妹みたいに振る舞ってて。 もう全てがあり得ない。 矛盾だらけだし心底この宗教と母親を憎んだわ。私の人生を返せとか、そんな言葉だけでは片付けられない。

 これはもちろん極端な事例ですけれど、本人にとって見れば、本当に起こった悲惨なことですし、エホバの証人の女性、あるいは、母親の傾向を見て取ることができると思います。

 まず一つ目に、親は、外では模範的な人のように振舞っているのに、家では違うという部分だ。これを子供が見たときに、親の建前と本音を知るから、非常に、子供にとってはショックだということです。家の外では、人のことをよく言っているけれど、家の中だと、悪口をいっていたり、子供をストレスのはけ口にしていたりする。

 こういうのを見ると、子供は非常にショックを受けますし、トラウマを抱えることもあります。

 ものみの塔協会と、巡回監督と長老は、グルになって、少し前までは、親が子供を鞭でたたくことを推奨していました。謝罪もありませんし、そういう時代だったということで、すまされています。これは、暴力です。これがいかに子供たちの心に傷を与えたかということは、きちんと知っておく必要があります。

 子供たちの幸せってなんだろうか。子供の決定を親が変わってすることでしょうか。成人になっても、子供の意見を尊重せず、拘束し続けることでしょうか。子供たちは、少しづつ大人になって自立していきます。親の役割は、子供をいつまでも自分のロボットにすることではなくって、子供が大人になっていくときに、自立を助けてあげることなのではないでしょうか。

 エホバの証人の社会の中には、残念ながら、その人の決定を尊重するというよい雰囲気がまだ醸成されていません。反対に、長老や親は、その決定をさせないように、有形・無形の圧力を使って、圧力をかけるということが、日常的に行われています。

 エホバの証人の社会というのは、まだまだ、まともな話合いというものが、できない社会です。これは、非常に窮屈です。何も考えずに、あの人は悪いというふうに、決めつけてしまうことが多い未熟な社会でもあります。