イエスは、幕屋の祭りの期間に神殿で教える

 ヨハネ福音書には、エルサレムで行われる祭りが何回か登場します。ヨハネ7章では、幕屋の祭りの期間中にイエスが、神殿で教えたという内容が書かれていますので、そのことを着眼点にして紹介したいと思います。

ユダヤ人の祭り、つまり幕屋の祭りが近づいていた。
(ヨハネ 7:2)

初日はイエスはこっそりとエルサレムに入る

 ユダヤ人がイエスを殺そうとしていることを、イエスは知っていました。ユダヤ人は、まだイエスを殺そうとするそぶりはないのですが、心の中には計画があり、それを行おうとする意図があったことをイエスは知っていました。

 ユダヤ人はイエスと一緒に行こうとしますが、イエスは断ります。

「わたしの定めの時はまだ来ていません(後略)
(ヨハネ 7:6)

 定めのときという言葉でイエスが意味しているのは、おそらく死ぬときですね。それで、イエスは、こっそりとエルサレムに入ります。

しかし、兄弟たちが祭りに上って行ってしまうと、そのときご自身も、表だってではなく、忍ぶようにして上って行かれた。
(ヨハネ 7:10)

祭りの中盤になると神殿で教え始める

 イエスは、こっそりと隠れて行動していましたが、祭りが中盤になると、イエスは、神殿で教え始めます。

祭りがすでに半ばを過ぎた時、イエスは神殿に上って行って、教えはじめられた。
(ヨハネ 7:14)

 ここでの、ユダヤ人たちへの指摘はとても面白いです。ユダヤ人は、割礼を生まれて8日目にほどこすことをするために、その日が安息日であっても割礼をほどこしています。そのことをイエスは、指摘しました。

 どうして、あなたたちは、安息日に割礼に行っているのに、わたしが人の病気を治したからといって、わたしに対して怒っているのですか。こんな感じで話します。

祭りの最後の日

 祭りの最後の日も、イエスは教えています。叫んでこういいました。よく知られたイエスの言葉です。

だれでも渇いている人がいるなら、わたしのところに来て飲みなさい。わたしに信仰を持つものは、まさに聖書が言ったとおり、『その内奥のところから生きた水の流れが流れ出るのです』のです。」。
(ヨハネ 7:37-38)

 水の比ゆは、モーセやイザヤなんかの書物によくあわられます。詩篇とかにもですね。モーセは、泉を湧き出させて、イスラエルに飲ませましたね。イザヤ書にも湧き出る水の比ゆがでてきます。

あなた方は歓喜して,必ず救いの泉から水をくむであろう。
(イザヤ 12:3)

 心地よい水を飲んで、心も気持ちもすっきりと気持ちよくなりたいですね。