エホバの証人の教義で間違っていると思っていること

 今日は、僕がエホバの証人の教義で間違っていると思うことを簡潔にまとめておきたいと思います。そして、間違いをどのように修正したらよいと思っているかも書いておきます。

聖霊は電気エネルギーのようなもの

 僕は、聖霊は電気エネルギーのようなものだとは思いません。聖霊(Holly Sprit)というのは、聖なる思い、つまり、「神の聖なる思い」だと僕は考えています。こう解釈すると「聖霊を悲しませる」という意味がぴったりときます。神の思いが悲しむのです。

 また、聖霊は人を動かしますが、電気エネルギーだから動くのではなくって、神の思いであるからこそ、心と反応するのだと思います。

1914年に終わりの日が始まり、イエスは見えない形で王として臨在している

 僕は1914年には、特に意味がないと思っています。西暦前607年も1919年も。また、臨在という現象と到来という現象は、同一時期に起こると考えています。

 臨在という言葉の意味には、来て留まるという意味がありますから、到来という言葉との訳し分け自体は否定はしません。けれども、到来と臨在は同じものを表しており、それはなお将来のことだと考えています。

 また終わりの日の始まりは、1919年ではなくって、1世紀だと考えています。

エスは見えない形で到来する

 イエスは見えない形で到来するというのは、間違っていると思っていて、イエスは、王権を得て地上にやってくるのだと思います。イエスは、王権を返した後は、他の人たちも神の子となっていますから、イエス自身は、特別な存在ではなくなります。イエス自身も、他の人と神と同じ関係に入るのだと思います。

14万4000人は天に復活するグループ

 僕自身は、人間が天に復活するということを信じていません。また14万4000人というのは、単にユダヤ人を指しているのであって、大群衆は、あらゆる国からきた人を指していると思います。啓示の書では、これらが、ひとつになるということを、単に言っているのだと思います。

他の羊、大群衆は、地に復活するグループ

 他の羊とは、単に諸国民のことだと思います。聖書に書かれていることは、ユダヤ人以外の国民も神の子に加えられるということであって、人類をさらに2グループに分ける考え方は、聖書に書かれた考え方ではないと思います。

聖霊によるバプテスマ

 聖霊によるバプテスマが、天に復活するグループの人だけが受けるというのは、間違っていると思います。油注ぎや聖霊バプテスマは、イエスに信仰を働かせるすべての人が、授かるものだと思います。

キリストの兄弟の中でもっとも小さい者

 これを、天に復活するグループのもっとも若い人たちと解釈するのは間違っていると思います。これは、立場が弱い人を象徴的に表しているのだと思います。そういう人たちに、親切にしましょうという教えだと思います。

忠実で思慮深い奴隷

 これは、天に復活するグループの中で、さらに、イエスから、羊を僕する権威を与えられ人というのは、間違っていると思います。これは、単なる比ゆであって、イエスが到来したときに、忠実を示していたので、賞賛される人のことを指していると思います。

 つまり、すべてのクリスチャンが、忠実で思慮深い奴隷たりうるということです。

長老への従順を強制すること

 これが、絶対的な基準のように扱われますけれど、僕はもっと相対的なものだと思っています。たとえば、親が学校に子供をやるときに「先生のいうことをきちんときくんだよ」と言います。こんな感じのアドバイスだと思うのです。

 現状は、脅したり、排斥したりするのに使われていますから、異常だと思います。

輸血拒否

 輸血拒否を強制させようとしていますが、各自にとって「血を避けていなさい」という基準は違ってもよいと思います。輸血治療を選んだら、断絶したものとみなして、全員で無視を行うなんて異常です。

排斥制度

 排斥にともなって、エホバの証人の全員で無視をするようなことは、おかしいと思います。大きな人権侵害だと僕は思います。

目に見える地上の組織

 エホバは、目に見える地上の組織を持っておられますといいますが、そんなものは存在していないと思います。聖霊は、個人に対して働くのであって、組織に働くわけではありません。かつては、イスラエルを導いておられましたが、イエスの登場以後は、そのようなことはなさっておらず、各個人のイエスへの信仰を見ておられると思います。

審理委員会

 審理委員会は、宗教裁判所ですが、こんなものは、聖書にはでてきません。

統治体

 1世紀に統治体が存在していたとは思いません。中央に数千億円も資産を蓄積する、そのような体制があったのではなくって、会衆は分散していたのだと思います。分散していたからこそ、会議をするために、エルサレムに集まったのだと思います。

高等教育の否定

 高等教育を否定するのは、やりすぎだと思います。僕は、現状の大学のあり方が、それほどよいものだとは考えていませんが、一律に否定するようなことは、行き過ぎだと思います。特に、子供を高等学校に推薦したら、特権を削除するというのは、単なる恐喝です。公平な情報を提供して、家庭と子供の選択にゆだねるべきだと思います。

エホバの証人の人以外との結婚禁止

 新世界訳聖書は「主にあるものと結婚しなさい」と訳していますが、僕は「(自分自身が)主にあって、結婚しなさい」と訳すのがよいと考えています。特にこれは、やもめに対して、パウロが語っているだけで、聖書のその他のいかなる部分においても、結婚に関する制約というのは、でてこないからです。

ハルマゲドン

 ハルマゲドンでは、エホバの証人以外の人が滅ぼされると教えていますが、そんなことはないと思います。僕自身は、ハルマゲドンでなくなってしまう人は、復活すると考えています。クリスチャンの特権とは、ハルマゲドンにおいて、身を隠すことができることだと思っています。