ひとりの夫とひとりの妻

 僕たちの住んでいる日本という社会は、一夫一婦制です。これは国家が、国民に対して、重婚をしてはならないといっているということです。また、不倫は、犯罪ではありませんけれど、民事訴訟によって、精神的な苦痛に対して慰謝料を請求することができます。

 対照的に古代イスラエルは、一夫多妻制の社会でした。男性は、複数の女性と結婚することができました。

 さて皆さんは、どちらの社会がよいでしょうか。男性であれば、願うところと、体の傾向というのは、反対の方向を向いていると思います。

 音楽ではたくさんの恋愛の歌が書かれています。その内容といえば、「ずっとふたりで一緒にいたい」というものです。人の願いは、ひとりの男性とひとりの女性が、ずっと一緒にいたいというところに向けられています。

 「あの人とも、この人とも、セックスしたいー」なんて歌は、売れそうにありませんね。けれども、体の傾向は、まさにこのとおりなのです。また、残念なことに歌っている歌い手の、ほとんどの人は、歌っている内容のことを実践できていません。

 それゆえ人は、願いにおいては、神の意図することを知っていますが、罪を引き継いでいる体の傾向は、反対の方向へ向かおうとします。

 男女が愛し合うことは清いことなのです。それは、最初に神が意図されたことでした。けれども、たくさんのものを求める受け継いだ罪の傾向が、男女関係を壊しがちなのです。

 パウロは創世記の夫婦の記述と、イエスの一夫一婦が意図されていた、言葉を受けて、こんな風に語ります。

さて,あなた方が書いてきた事柄についてですが,男は女に触れないのがよいことです。しかし,淫行がはびこっていますから,男はおのおの自分の妻を持ち,女はおのおの自分の夫を持ちなさい。
(コリント 7:1-3)

 先に少し注意を書いておきますが「男は女に触れないのがよいことです」というのは、男は独身のほうがよいという意味ではなくて、独身であってもよいという意味かと思います。ちょっと、訳が悪いかと思います。

 そして、淫行がはびこっているので、自分の妻、自分の夫を、持ちなさいといっています。一緒にいることができる人を探しましょう。