巡回監督が奉仕の僕を任命するようになった件について

 最近の長老の手紙の中で、巡回監督が奉仕の僕を任命するということが新しく決められたようですね。これについて、僕が考えたことを書いておきます。

経緯

 これが行われた経緯はおそらく、誰が誰を任命しているのかということを、はっきりさせるためだと思います。責任の所在が明確になったのは、一歩前進だと思います。

 たとえば、奉仕の僕や長老が不祥事を起こしたときの任命責任は、巡回監督にあるということが、はっきりします。つまり、ものみの塔協会の任命責任を、きちんと問うことができるようになったということです。

巡回監督は正しく任命できない

 けれども、一方でこの仕組みは、大きな問題をかかえています。それは、巡回監督というのは、半年くらいに一回会衆を見にくるだけなので、だれが適任かということを、確認することは不可能だということです。

 自分の目で確かめることもできないし、そうであれば、奉仕時間という外面の事柄で判断する傾向にもなるだろうし、姉妹たちの噂話を、そのまま判断の基準にしてしまうということもありそうです。

 巡回監督へのゴマすり長老、ゴマすり奉仕の僕が増えるということです。神の目ではなくって、奉仕はいつでも、巡回監督の監視を意識して行うようになってしまいます。

 つまり、このシステムは必然的に、組織を神としてしまうシステムだということです。だから、この仕組みを神権的な方法として神格化してしまうのではなくって、変えていく必要があります。

長老は骨抜きにされた

 長老は奉仕の僕に対して、強く当たることはできなくなりました。任命権を取り上げられてしまったので、長老と、奉仕の僕の立場は、横並びになりました。

 僕がやってほしいと思うのは、長老と奉仕の僕の役割を、定期的に交代してほしいということです。今は、どちらが上という観念にとらわれているので、定期的に役割を交代することで、上下関係の意識を破壊します。若い人たちにも参加してもらうのがいいと思います。

 聖書的には、長老と奉仕の僕のどちらが上ということはありません。でも、現状は、奉仕の僕は長老へと出世するための道になっちゃっています。これを、壊してほしいです。