「99匹の羊と1匹の羊のたとえ」の統治体バージョン

長老「もし100匹の羊を持っていて、1匹の羊が迷いでたらどうしたらいいですか。」

統治体A「もし1匹の羊が狼に襲われているとしましょう。そうであれば、99匹の羊をほうっておいたら、そちらが食べられてしまうかもしれない。ですから、その1匹は、もう死んだものと思って、先に進みましょう。死んだとしてもたった1匹だけです。」

統治体B「その一匹の羊を見つけたとしても、そうやっている時間はもったいない。それよりは、新しい健康な羊を5匹買ったほうがよい。そのほうが効率がよい。羊飼いと99匹の羊と新しい5匹の羊は、共に喜びあいます。損をしたとしても、たった1匹だけです。」

統治体C「その1匹の羊のために、99匹の羊に危険が及んではいけない。もし仮にその羊を見つけても病気にかかっていて、99匹の健康を害するかもしれない。それゆえ、無視してほうっておきなさい。たった一匹だけなので、すぐに忘れるでしょう」

 排斥制度によって、ひとりひとりを切り捨てるものみの塔協会の現在の運用は、イエスの思いとはまったく逆なのではないでしょうか。