決定や行動に無責任になってしまいがち

 組織信仰の問題点について一緒に考えていきましょう。最初に取り上げる点は、組織信仰によって、決定や行動に無責任になってしまいがちだという点です。

 「これは組織の支持だから」「これは組織の提案だから」。こんな言葉を口にする傾向はありませんか。

 「長老に言われたから、そのとおりにしているだけ。わたしは何も悪くない。」こんな心の傾向はありませんか。

 過去の事例をひとつあげて考えてみましょう。鞭の問題です。巡回監督や長老は、過去に、演壇の上から「子供を鞭で叩くことは、子供の命を救うことになる」と教えていました。

 過去のことといっても、それほど昔のことでもありません。僕は、こんな言葉をよく耳にしました。「あの時代は、ああいう時代だった」と。

 この言葉を聞くと悲しくなってしまいます。子供たちを鞭で叩いたのは「あの時代は、ああいう時代だった」というのです。まるで、時代が悪かったかのように、エホバの証人の兄弟・姉妹は語ることが多いです。

 これは、おかしくありませんか。本当の原因を僕がずばっといってしまいます。それは、組織からの指示を鵜呑みにしてしまって、みんなが現実の問題から目を背けたからです。

 自分に責任が生じるという感覚があれば、もう少し慎重に決定をしたり、行動をしたりすると思います。でも、自分に責任が生じなければ、自分のサディズム的な性向に従って、子供を叩きます。

 自分の責任で、決定して行動するというのは、とても怖いことです。その気持ちは察します。女性は特に、男性の何倍も、自分の責任で決定して、行動するというのが苦手だと思います。

 「いうことを聞いているのが楽」。その気持ちはわかります。でも、何もかもに無責任になってしまえば、もう一度鞭の悲劇を繰り返すことになりかねません。

 僕たちは、イエス・キリストの追随者なのではありませんか。決定する勇気、行動する勇気は、研究生のときに育んだのではなかったでしたか。

 勇気を祈り求めてみてください。少しの勇気が必要です。キリストは勇敢でした。そして、弟子たちのために、言葉を語ります。

世にあってあなた方には患難がありますが,勇気を出しなさい! わたしは世を征服したのです」。
(ヨハネ16:33)



組織信仰 - 何が問題か