探し続けるということをやめてしまうこと

 兄弟・姉妹たち、みなさんは、エホバの証人になる前は、真実な事柄を探し続けていましたね。真実な事柄を知りたいという気持ちがあって、聖書研究に応じてくれたのでしたね。

 そして、地上のパラダイスが訪れるという約束について知りました。そして、喜びのうちに自分の意思によって信仰に入りました。

 組織についての問題点に移ります。その問題点の一つは、探し続けることや、求め続けることをやめてしまうということです。

探し続けることや、求め続けることをやめてしまう

 聖書研究が終わって、エホバの証人なった後に、少しづつこんなことを言われることが増えたと思いませんか。一度思い返してみてください。

 「組織の提案に従うことによって、エホバに忠節を示すことになります。」「自分にはわからなくっても、組織の指示に従って、一致を守りましょう。」

 組織への信仰は、探し続けることや求め続けることをストップさせてしまいます。固定観念に一度とらわれてしまうと、そこから抜け出すことは、困難になっていきます。

 柔軟な考え方ができなくなって、自分と考えが異なる人が現れると、排除したり、悪口やかげ口をいったり、あの人にはふさわしくない、そういう実になって表れてきます。

 クリスチャンとは、キリストの言葉や行いに従っていく人のことだと僕は、考えています。キリストは、こう語ったのです。

「求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見いだせます。たたきつづけなさい。そうすれば開かれます。だれでも求めている者は受け,探している者は見いだし,まただれでもたたいている者には開かれるのです。
(マタイ 7:7-8)

 もし、求めている人や、探し続けている人を、会衆が否定したり、また会衆の長老が否定してしまったらどうなるでしょうか。その会衆は、クリスチャン会衆であることをやめることになるのではありませんか。

 僕がエホバの証人にまだ期待を持っているのは、みなさんが、クリスチャンだからです。少しの大きな間違いが取り除かれれば、また自信をもって歩んでいけると信じているからです。

 求め続けること、探し続けること、たたき続けること、これは、聖書研究が終われば、終わりというものではないです。

 求め続けること、探し続けること、たたき続けることは、クリスチャンとして、その生涯の終わりまで、行い続けてほしいことです。



組織信仰 - 何が問題か