ひとりひとりが大切にされないということ

 組織信仰の問題点について、考えていきます。今回は、ひとりひとりが大切にされないという問題について書きます。

ひとりひとりが大切にされないということ

 人は自分の好みで、人を判断してしまう傾向があります。そして、自分の好みが多数派に属する場合に、多数派という力を使って、自分の好みに合わない人を排除してしまう傾向があります。

 自分の好みと異なる人がいて、自分が多数派に属する場合に、少数者をさらしものにする傾向があるということです。これは、エホバの証人の傾向でもありますが、日本人の平均的な傾向でもあります。

 自分の好みと異なると少しでも感じると、忌避してしまいがちになります。キリストは、「自分の仲間にだけあいさつしたからといって、それがいったい何になるでしょうか」といいました。

 キリストの思い、また神の思いの中には、少数派に属する人への配慮があります。組織への信仰は、この少数派に属する人への配慮の気持ちを台無しにしているという部分があります。

 こんな言葉を長老や年配の姉妹から聞いたことがありませんか。「エホバの証人においては一致が何よりも大切」「あの人の振る舞いは、会衆の衛生を乱している」「あの服装や、あの振る舞いは、人をつまづかせる」

 きっと聞いたことがあると思います。でも、考えてみてください。この考え方は、最悪の実を生み出しています。

 それは、一致を何よりも重んじるために、児童性的虐待問題について、長老に対して問題の指摘を行うことができなかったということです。

 長老に対して意見をして荒波をたてることは、一致を乱す行為、会衆を乱す行為とみんなが考えたために、これらを防ぐことができませんでした。

 組織への信仰、組織の一致は、ひとりひとりの福祉を思いやるという点で、大失敗を犯しています。組織の方法、組織のマナー、それは、人間の伝統ですが、その伝統のために、ひとりひとりを思いやるということが、壊れています。組織への信仰は、犯罪の隠ぺいという最悪の結果をもたらしたものでもあります。

 キリストの精神は、たとえ、一匹の羊であっても、思いやるということです。「あの人は自分の好みとは違うから気に食わない。多数派の力で、嫌がらせをしたり、無視をしよう」ではなくって「確かに彼は小さな立場かもしれない、けれども彼を尊重しよう」ということです。

 キリストは、小さな者を躓かせることについてこのようにいいました。

しかし,わたしに信仰を置くこれら小さな者の一人をつまずかせるのがだれであっても,その者にとっては,ろばの回すような臼石を首にかけられて,広い大海に沈められるほうが益になります。
(マタイ18:6)

 このことにおいて、どうか神とキリストを恐れてください。キリストは、裁き主なのですから。返報は、ひとりひとりに対して、裁きのときに神から訪れます。



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