求められているのは組織に対する一致ではないということ

 組織信仰について、もう少し語ります。それは、兄弟・姉妹のみなさんが、組織に対する信仰の何が間違っているのだろうかと、きっと考えていると僕は、思うからです。

 ですから、組織信仰に対する問題点を指摘して、それを問題意識として共有してほしいと考えています。連続的に書くことによって、問題点を書き出して、知ってもらいたいと思っています。

 今日は、組織に対する一致という問題点です。長老たちは、よくこんなことをいいます。「エホバの組織に一致して、歩調をあわせましょう。」

 きっと、よく聞く言葉だと思います。長老や巡回監督は、一致という言葉が大好きです。何よりも一致、とにかく一致という考え方です。

 でも、ちょっと待ってください。これって、単に同調圧力を強くしているだけじゃないでしょうか。

 ものみの塔への線の引き方、演壇での話し方、証言の仕方、服装、ブーツの形、スカートの模様、男女の着席の仕方、髪型など、外形的な部分で、ものすごく強い同調圧力があります。

 エホバの証人社会の中だけで通用する、同調圧力に子供たちは苦しめられてきました。その方法以外の方法をとるならば、徹底的に、痛めつけられるという恐怖がありました。

 子供たちにとっては、親に抵抗するということは、とても難しいことなんです。また、親に率直に話すということだけでも、とても難しいことです。しかめっつらをされると思えば、声がでなくなります。

 会衆の人があたりまえと思っていること、それらの多くは同調圧力となって、その慣習になじまない人を襲います。望まない一致の圧力ほど、心苦しいものはないからです。

 まず、一致という考え方が、人の心を苦しめて、よくない実を生み出しているという現実を直視してほしいです。

 長老たちは勘違いしていますが、一致とは、外面の一致ではないんです。集会に行くこと、宣教奉仕に出ること、服装を整えること、奉仕報告書を提出すること、大会に出席すること、ではないんです。

 一致とは、イエス・キリストに対する信仰による一致です。それゆえ、クリスチャンは、外面的な慣習からは、自由になっています。

 外面的な社会慣習に対して譲歩することはあるにしても、それによって歩んでいるわけではなく、内面、すなわち見えないものによって歩むべきだからです。

 それゆえ、兄弟・姉妹たち、どうか知ってください。必要なのは、見える地上の組織の行動に対する一致ではなくって、イエス・キリストに対する信仰による一致です。



組織信仰 - 何が問題か