清い組織が存在しているわけではないということ

 さて、もう少し、組織信仰の話題で、続いていきます。みなさんは、長老の口からこんな言葉を聞いたことがあると思います。

 「会衆の清さを守る必要がある」「一部の腐った部分は、まるまる取り除かなくてはいけません」

 エホバの証人の兄弟・姉妹のみなさんは、こんなイメージを抱いているのだと思います。

 それは、「清い会衆があって、自分たちの会衆がそれに該当する」「清い組織があって、自分たちの組織がそれに該当する」

 裏返せば、つまり、自分たちは清い、そして、それ以外は、汚いと、いう意味ですね。

 僕への制裁はおそらくこうでした。「宣教奉仕をしていながら、奉仕報告書を出していないなどという振る舞いは、会衆の清さや平和を乱している。あなたは会衆にとって穢れた存在だ。それゆえ、危険人物として会衆で発表する。」

 奉仕報告書を提出しないことと、清さの間には、何の関係もないです。良心的な問題のはずですね。奉仕報告書を出さないエホバの証人がいてもいいはずですよね。

 それでも、組織への抵抗にあたると判断した場合は、該当の人物は、組織の清さを乱す人物と判定されます。

 ここにはこんな考え方があります。組織の方法は、清い方法だ。そうでない方法は穢れた方法だ。組織の方法に従う人は、清い存在だ。組織の方法に異議を唱える人は、穢れた存在だ。

 こんな考え方が、エホバの証人社会の中にはあります。

 でも、僕は、お伝えしますけれど、清い組織なんて存在しませんよ。組織は、人の集まりです。

 そして、人は、誰一人、神の栄光には達しない。それゆえ、自分を清い人間、人を汚い人間として、人に石を投げることはできない。それが、皆さんが、日ごろ学んでいることではないでしょうか。

 人は、例外なく罪のうちにあるということ。それゆえ、人が集まって作られた組織も罪のうちにあるということ。清い組織ではなくって、組織は罪のただ中にあって、黒いということを、自覚することが必要だと思います。



組織信仰 - 何が問題か