ふたりは一体について

 男は傾向として、多数の女性とセックスをしたいと感じる。男性は、心が入っていなくとも、容姿が自分の好みであれば、セックスしたいと感じるものだ。これは、ほぼすべての男性に当てはまる。

 なんてハレンチなと、道徳心で非難するかもしれない。しかし、やっぱり生物的なもともとの性向は、そのようにできているように思う。

 生物的な性向というのは、つまり、男性は、遺伝子を母から、他の女性へと運ぶということだ。男性は、生まれながらにして、種まき人だ。

 聖書が教えていることは、「人は神の言葉によっても生きる」ということだ。どういうことかといいますと、生物学的な性向だけによって生きるのではなくって、神の言葉によっても生きるということだ。

 人は、本能と規範の両方によって生きるということだ。聖書においては、公正ということが、基本的な規範になっています。

 つまり、自分がたくさんの女性とセックスをしたいとすれば、他の男性もたくさんの女性とセックスしたいはずだと考えます。

 もし自分がたくさんの女性に手を出してしまったとしたら、他の男性は女性とよい関係を持つことができない。だから、妻はひとりにしようと考えます。

 「二人は一体」という言葉は、公平に男女がつがいになるということです。多くの女性を獲得するというのではなく、ひとりの妻で満足するということです。