従順の競争

 自分の命が危うくなるという実感がないと、人って動かない。人は、自分が一番大事なので、自分に関心がないことに対しては、決して一生懸命にはならない。

 なぜあれほどまでに、頑なに従順を示すかといえば、自分の保身が第一だから。権威に従うことこそが、自分にとって一番安全だということを、女性は直感的に知っている。そこからはみ出してしまったら、生きていけなくなるからだ。

 ものみの塔協会は、人間のそういう性格を、きちんと押さえていて、うまく利用している。従順における価値について考える姉妹は、ほぼいない。姉妹たちが行っているのは、どちらがより従順かを示す競争である。

 周囲の姉妹たちよりも、自分がより従順を示していて立派だという競争ばかりが行われている。より苦しんだほうが、神からみて立派だというような競争が会衆では繰り広げられている。

 自分がいかに利他的かを誇っている人は、まったく利他的ではなく、徹底的に自己保身を目指すという点で、まったく利己的だ。

 キリストは、偽善について、するどく見抜いていた。苦しい顔をする競争は、偽善だとキリストは言う。

断食をしているときには,偽善者たちのように悲しげな顔をするのをやめなさい。彼らは,断食をしていることが人々に見えるように,自分の顔を醜くするのです。あなた方に真実に言いますが,彼らは自分の報いを全部受けています。しかし,あなたが断食をしているときには,頭に油を塗り,顔を洗いなさい。(マタイ 6:16-17)

 パリサイ人たちは、苦しい顔をして、それを人に見せることで、自分たちが神から見てふさわしいというイメージを、人々に抱かせようとしていました。

 大会の実演でもそうですが、いかに自分は苦しい思いをしたのかということが、自慢話になっている。多くの人の前で、自分の苦労話をすること、そして、自分がそれを乗り越えたことが立派だという話がほとんどだ。

 僕が、キリストの教えを守って、あっけらかんとして、幸せそうな顔で、神を信仰していると、多くの人は妬む。自分の不幸せのために、人の幸せを許せない。

 だから、人々は、自分の不幸を語ることで、自分の身を守る。不幸せであるように見せることで、保身ができる。立派だといってもらえる。

 エホバの証人には、人の幸せを妬まない心が必要だ。いつまでも、不幸競争をしないほうがいい。