性の規範について考えてみる

 聖書には、性に関連する規範がでてきます。たとえば、あなたは姦淫を犯してはならないというものです。

「あなたは姦淫を犯してはならない。
(出エジプト記 20:14)

 律法書において、姦淫という言葉の対象とされているのは、夫を持っている女性の身体であります。

『さて,人の妻と姦淫を犯す者,その者は自分の仲間である者の妻と姦淫を犯すのである。
(レビ記 20:10)

 姦淫を犯す男とは、夫がいる女手を出す男のことであり、姦淫を犯す女とは、自分に夫がいるのに、他の男性とセックスする女のことであります。

 イスラエルの時代に、男性が複数の女性を妻とすることは、罪ではありませんでしたし、1世紀においても、男性が複数の女性を妻とすることは罪ではありませんでした。

 パウロは、会衆の監督となる人の資格としては、複数の妻を持っていないことを、条件にしましたが、それは、罪に定められるようなことではありませんでした。1世紀には、複数の妻を持つ男性のクリスチャンは、普通に存在していました。

 しかし、女性が、複数の夫を持つことは、姦淫となり、それは罪なのです。

 現代的な考え方は、これをおかしいと考えるでしょう。それは、次のような推論によるでしょう。「男女は平等だから、一方だけが許されるのはおかしい。なせ女性にだけ、制限を強いるのか」

性の規範は、もともとどういう意味を持っていたのか

 人間に対比させて、チンパンジーの社会について考えてみると、人が性の規範を持っている意味が、少し見えてくるのではないでしょうか。

 チンパンジーの社会は、乱交社会です。チンパンジーのメスは、多くのオスと、セックスを行います。ということは、オスは、たくさんのメスとセックスができるわけですが、メスが妊娠した場合、それが、どのオスの子供かは、わかりません。

 メスは、自らが分娩し、子供を生むので、自分が生んだ子が自分の子供であることを知るのは、容易です。しかし、その子供が、どのオスの子供なのかは、わかりません。

人間社会には、夫婦と家族がある

 人間社会には、知ってのとおり夫婦と家族があります。チンパンジー社会には、夫婦と家族はなく、血縁集団があります。これが、チンパンジーと人の差なのです。

 つまり、人間にとって、性の規範が持つ意味というのは、夫婦と家族を成立させることなのです。性の規範があることによって、それが誰の子供かということがわかるということです。

 性の規範は、個人の自由を制限します。僕たちは、社会に存在している性の規範のせいで、自由にセックスがしたいという欲望があるのに、それを止められます。

 それは、もちろんそのとおりなのですが、性の規範が存在する理由は、人間が、夫婦と家族を成立させるためにあるからです。夫婦と家族という価値のために、自由なセックスは制限されていると考えられるのです。

キリストは、もともとは男女が一体だといった

 知ってのとおりキリストは、もともとは神は、男女が一体であることを意図されたと語っています。これは、つまり、女性に対する性の制約に、公正の観点から、男性も合わせるようにということです。