協会の寄付集めの方針はうまくいかないと思う

 協会の寄付集めの方針は、うまくいかないんじゃないかと思う。それは、ものみの塔協会が間違っていると感じている人たちではなくって、長年、ものみの塔でみっちりと学んできた人たちに対しても非常に大きな違和感があるからだ。

 僕の知っているある姉妹は、クレジットカードを作らないようにしていました。どうしてでしょうか。それは、何らかの形で、クレジットカードを持つことに罪悪感があったからだと思います。

 クレジットカードとは、金融会社からお金を借りるカードのことです。

クレジットカードとは、金融会社からお金を借りるカードのこと

 そして、雑誌では、安易に借金をするのはよくないことですという記事が、掲載されています。ですから、集会で学んできた兄弟・姉妹にとっては、クレジットカードというお金を借りるためのカードは、ある種の罪悪感を感じるものであったのです。

 兄弟・姉妹たちは、借金をする人を、何らかの汚れた存在のように見てきた過去があります。兄弟・姉妹たちは、そのような目で他人を裁いてきました。

 しかし、いまや協会が、自分たちが出版した過去の出版物をないものにして、ipadとクレジットカードで寄付をできるということを、JWブロードキャスティングでどうどうと語っています。

 クレジットカードで払うということは、一時的に、金融会社に借金をするということです。協会は方針を転換しましたが、さて、いままで出版物で学んできた兄弟・姉妹たちは、違和感を覚えるでしょう。

 また、大会の会場では、クレジットカードで寄付できるシステムも登場し始めています。大会の会場や、ipadを使って、電子決済をすることが、いまや、進められています。

 いままで長年学んできた、長老や開拓者の良心は、このことにどのように反応するでしょうか。なにかがおかしいと感じる良心が育っているのでしょうか。

 それとも、こう考える癖がついてしまっているでしょうか。「わたしたちは、すべてを知らない。」「それで、もしそれが異例で奇妙だと感じたとしても、神の組織を信頼することがもっとも大事だ」「神の組織の方針に、従うことが命を意味するからだ。」「前進する組織に歩調を合わせよう」

 もし前者であれば、僕としては、うれしいですね。まだ、違和感を感じるという心の生きた部分が残っています。

 でも、もし後者であっても、長老や開拓者には、お金がありません。長老や開拓者は、自分の働きの見返りとして、何かを受け取ることを期待している人々が多いと思います。ですから、そこからの寄付額は少ない。

 だから、どちらにしても、うまくはいかないと思うのです。

 1914年から100年目の2014年までは、王国会館ローンを運用することがキャッシュフローを生み出すので、開拓奉仕を励まし、人を集め、王国会館を増やすことが、そのまま資金を集める活動に直結していました。

 けれども、このシステムが、崩壊した今、開拓奉仕を励ますことは、協会にとって命とりとなります。ですから、協会は、いままでの方針を180度反転させ、寄付集めと、建設奉仕者集めにやっきになっているのです。

 研究用ものみの塔では、離婚の慰謝料まで、協会への寄付の対象にできると書いています。

 けれども、兄弟・姉妹たちの開拓奉仕への執着は、それほど簡単に変わることはできません。それは、一度エホバの証人を体験した方なら、その執着がどれほど強いか、知っておられることでしょう。

 ですから、協会の寄付集めの方針はうまくいかないんです。