感じる違和感に敏感になりましょう

 何か違和感を感じたら、その気持ちを正直に見つめてみることは大切なことだと思います。

 違和感もしばらくの間ほうっておくと、体や頭はその環境に慣れてしまいます。始めて聞いたときは違和感があるけれど、しばらくほうっておくと、周囲がみなそう考えているから慣れてしまう。

 人間の頭や体はそのようにできています。しかし、それは、ある程度までです。違和感をほうっておけば、自分が倒れていっていることに気がつかずにいます。

 違和感を感じたら、それは、方向を修正するためのチャンスです。頭や体が違和感を感じるのであれば、それは、何かおかしいのかもしれない。理性を働かすチャンスです。

 もし、ほうっておけば、おかしな方向に導かれているのにもかかわらず、頭と心が慣れてしまって、気がつかないままほうっておくこことになります。

 これは、おかしいんじゃないか、そのように理性的に考える姿勢は、とても大事だと思います。

 パウロは、このように表現しています。

それで,立っていると思う人は,倒れることがないように気をつけなさい。
(コリント第一 10:12)

 エホバの証人の中に、自分は正しく立っていると信じ込んでいる方はおられませんか。自分たちは正しい方向に歩んでいる、自分が属する集団は正しい方向に向かっている。そのような、過信におぼれてはおられませんか。

 いちど、宣教で、どなたかのお家にでかけていって、家の方と話ができたら、エホバの証人は、どんなところがおかしいと思うか、謙遜な態度で聞いてみましょう。

 そして、出版物を使って、相手の意見を論破してやろうというような心の傾向が見られたなら、一度自分の心を見直してみてください。

 心は硬くなり、聞く力を失い、謙遜な姿勢は、失われています。それこそが、皆さんが、行動において示すべきものではありませんでしたか。

 宣教で、仲間と集まって、「あの家の人は背教的だった」と、みなで、家の人の悪いうわさをながしていませんか。実際は、あれは背教的と語るそのみなさんの悪い口が、神にとって、背教的なのではありませんか。

 それで、立っていると思う人は、倒れることがないように、気をつけましょう。