破壊願望と支配の欲望

 ぶっ殺してやりたい、ぶっ叩いてやりたい、崩壊させてやりたい、口を封じてやりたい、意見を封じ込めてやりたい、自分の思うとおりに動かしてやりたい、あの人を貶めてやりたい、とふと思うことはありませんか。

 男性は攻撃的な面を表で見せることがありますが、女性は裏に潜めています。社会に対して、攻撃性を潜める代わりに、その攻撃性が、家族に向かうということが多いです。

 それは、夫や子供に対してです。もちろん女性だけではなくって、DV夫というのももちろんあります。

 問題の本質はどこにあるでしょうか。僕としては、このような願望が人にはあるということを、認めてしまったほうがよいと思います。

 人間は、何かを破壊したいし、何かを支配したいのです。その対象が、人間に対して向けられた場合にやっかいなのです。

 しかし、人間は、人間に対して、破壊願望や支配の欲望を向けるということを延々とやっています。植民地政策にしかり、侵略戦争にしかり、アフリカ、中東、南米の領土の分割しかり、ものみの塔協会しかり。

わたしはこのすべてを見た。そして,人が人を支配してこれに害を及ぼした時[の間に],日の下で行なわれたすべての業に心を用いるのであった。
(伝道 8:9)

 この困難な戦いにおいて、僕のアドバイスは、破壊願望と支配の欲望を、人ではなく、ものに向けることです。

 たとえば、たとえるならば、レゴを組み立てます。レゴはものですから、いくら試行錯誤をしても、どんな変な組み立て方をしても、悲鳴を上げることはありません。

 レゴは、あなたの支配に服します。地の産物で遊ぶこと、これが、支配の欲望を人に向けないコツです。受動的にならず、何かを自分自身で組み立てること、何かを作成することです。

 なぜレゴブロックがうまく組みあがらないのか。それは、あなたが組み立てるのが、へたくそだからです。あなたは、自分自身の心と戦い、勝利し、心を押さえ、辛抱強くなり、力をつけ、完成します。そして、喜びます。

 そして、床にぶつけ、ばらばらにし、破壊を楽しみ、また組み立てなおします。みなさん、僕のことを変な人だと思いましたね。

 でも、破壊願望と支配の欲望を、存在しないものとみなして偽善を行ったり、人に向けて発散するより、ずっとずっと健全なのです。