恨みと、妬みと、陰口の中には、長くとどまらないほうがよい

 恨みと、妬みと、陰口は、心を消耗してしまう。理想をいうならば、人を評価することと、誠実のうちに生きたほうがよい。

 だれかを評価しようとすると、他の人につつかれてしまう。それで、だれかを評価することができない。だれかの悪口をいえば、その話題で盛り上がる。それで、ついつい悪口を語り、それが常習的になってしまう。

 このような環境にい続けることは、心が気持ちよくないということは、実感してもらえると思います。心にも悪い。

 協会との戦いのために、自分の心を打ち壊すならば、それは、本末転倒だと思います。休憩がなければ、長くは戦えないし、心に平安がなければ、自分の生活が台無しになってしまいます。

 排斥という宗教差別に対する戦いは、無理に引き裂かれた家族関係を取り戻すという建設的な目的のためにあります。宗教上の裏切り者というレッテルを貼り付け、裏切り者と接するものは、神に忠節でないものといい、家族関係を引き裂く。

 僕自身としても、怒りを覚えますが、もしそのまま怒りの感情のままに動いたとしたら、協会の思惑通りになってしまいます。

 「ほら、彼らは激高している、反抗的な態度をとっている、サタンのような態度だ。彼らは乱れている、内部で争いあっている。無信仰という最悪の結果を刈り取っている。ああなるよりは、組織にとどまったほうがましでしょう。」と。

 エホバの証人の姉妹はいいます。「あそこは怖い感じがするわ。何か背教的」。巡回監督は言います。「世の不一致な態度にならわないようにしましょう。」

 腹立たしいでしょう。けれども、打ち勝つ方法については、すでにイエスパウロが語ってくれています。逆説的ですが、それこそが、効果的な方法です。

 イエスは、いいました。

「『あなたは隣人を愛し,敵を憎まなければならない』と言われたのをあなた方は聞きました。しかし,わたしはあなた方に言いますが,あなた方の敵を愛しつづけ,あなた方を迫害している者たちのために祈りつづけなさい
(マタイ 5:43-45)

 パウロもこういいます。

そしてこうあるのです。「あなたの敵が飢えているなら,食べさせなさい。渇いているなら,飲む物を与えなさい。そうすれば,燃える炭火を彼の頭に積むことになるのである」。悪に征服されてはなりません。むしろ,善をもって悪を征服してゆきなさい
(ローマ 12:20-21)

 この戦い方について、理解が深まってくれればと思います。