神権宣教学校はなぜなくなったのか

 この間の集会では、神権宣教学校がなくなるという発表がありましたね。でも、ふたをあけてみると、内容は、ほとんど変わっていません。ということは、神権宣教学校という名前だけがなくなったと推論するのが、妥当です。

なぜものみの塔協会は、神権宣教学校という名前を使うのをやめたのか

 なぜものみの塔協会は、神権宣教学校という名前を使うのをやめたのでしょうか。それは、学校には、子供たちを守る義務があるからです。

 学校と呼ばれる場所では、先生や学校の運営者は、子供たちを守る義務があります。しかし、ものみの塔協会は、そのような義務を守るつもりもないし、これからも守るつもりがないので、学校という看板を下ろしたということです。

 つまり、神権宣教学校という名前を使わなくした理由は、非常に消極的な理由で、子供たちを守るという義務から、自分たちを逃れさせるためでした。

神権宣教学校という名前を使わなくした理由は、子供たちを守るという義務から、自分たちを逃れさせるため

 児童性的虐待が隠蔽される体質を維持しながら、法的に制裁される状況を逃げ切ろうとしていることの表れでもあります。「学校じゃないもんねー、子供たちを守る義務なんてないもんねー。俺しらねー」という告白のようなものです。

 エホバの証人の会衆では、新しい調整、新しい光として、好意的に受け入れられているのかもしれませんが、現実的な理由は、こういう理由なんです。