年配の兄弟・姉妹たち、ビデオの再生回数が0回という奉仕報告は、恥ずべきものはないですよ

 奉仕報告の用紙が変更されて、新しくビデオの再生回数という項目が追加されるのは、みなさんご存知かと思います。これは、宣教にでたときに、タブレットを使って、家の人に何回JWブロードキャスティングで提供されるビデオを再生して見せたかということを、記入する欄になります。

 年配の兄弟・姉妹たちは、こんな思いを持ったかもしれません。それは「わたしもipadを買って、家の人に見せて、ビデオの再生回数を記入しなくっちゃ」。

 ipadを持ってない兄弟・姉妹は、ある種のあせりや、劣等感を持ち始めるかもしれません。けれども、そんな不安は、感じなくってもよい不安ですよ。

 もう少し、基本に戻ってください。まず、ipadは、宣教や集会に、必須の持ち物ではないということを、しっかりと意識してください。みんなが持っていても、それは、気を散らせる電子機器であって、エホバに喜ばれる持ち物ではないということです。

 ipadは、エホバに喜ばれるものではないとうことを、しっかりと思いにとめておけば、他の多くの兄弟・姉妹が、ipadを持って、会衆内で、うれしそうに、話してもいても、それが、敬虔な態度ではないということがわかります。

 ipadはエホバに喜ばれるものではないということをしっかりと意識してください。最新のipadは8万円します。日本でこの価格ですから、発展途上国ではどうでしょうか。もし、購買力平価が、日本の三分の一の国であれば、それは、24万円の買い物です。通信費も馬鹿にならないのではないでしょうか。

 GDP世界三位の日本という国では、それほど高価な買い物とはいえないかもしれません。けれども、発展途上国の国の人々にとってはどうですか。よく考えてください。そういうことを、協会は世界中で進めようとしているのですよ。

 もっとも大切なことはなんですか。それは、聖書に記述された神の言葉、またイエス・キリストの言葉、その思いなのではありませんか。そのことを、きっちりと意識していれば、ビデオの再生回数が0回という奉仕報告が恥ずべきものではないということが、理解できます。

ビデオの再生回数が0回という奉仕報告は恥ずべきものはない

 みなさんは、今や辱められようとしていますが、それは、気にすることではないということを、僕は伝えておきたいと思います。「かん難の中にあって勇気を出しなさい。わたしは世を征服したのです。」