わたしは生きている

「わたしは生きている」と,エホバはお告げになる」(イザヤ 49:18)

 「わたしは死んだ者の神ではなく、生きたものたちのための神である。命を与える神、命を永らえさせる神である。」

 「多くのものたちがわたしの名を傷つけた。彼らの言葉は、非難することだけにあって、真実の側にはない。多くのものたちの間にあって、わたしの民は、小さくさせられている。わたしはそのことを知っている。」

 「あなたは、わたしの名について、多くのことを語った。それは、誉められるべきことだ。名をそしるものたちのために、今の時期を耐え忍んでくれている」

 「多くのものたちが、わたしの名を低めても、わたしは必ず、わたしの名を賛美し、高めるものたちを残す。わたしの名が高められることによって、多くのものたちは苛立ち、さらに非難を増し加えるである。それは、真実が明らかにならないためである。」

 「平安のうちにゆきなさい。そして、悪から離れているように。わたしの裁きのときに、巻き込まれてしまわないように。わたしは、隠されている悪を明らかにする。」

 「どうか苛立ちを押さえ、心をかたくなにしてしまわないように。その苛立ちは、わたしのためではなく、あなたの心のために起こっている。どうか、そのことを理解するように。」

 「メリバにおけるように,荒野のマッサの日におけるように心をかたくなにしてはならない。」(詩編 95:8)

 「悪を行っていることを知ったらそれから離れるように。自分が悪を行っている人々と関係があることがわかったら、すぐに離れ、悔い改めるように。そして、新たな悪を繰り返さないように。」

 「子供たちによって、わたしの名が汚されているのはどうしてか。それは、あなたが、罪のないことで、子供たちを鞭打ったからではないか。その鞭によって、子供たちが救われると思ったのか。しかし、そのことによって、わたしの名が汚されたとすれば、それには、何の意味があるのか」