なぜ神は隠され続けているのか - 集金広告という大衆コントロール手法

 民主主義における自由意志とはいったいなんであるのか。自由意志とは、本当の自由意志ではなく、自由意志だと信じ込まされた自由意志である。自由意志を尊重するようにメッセージングする人たちというのは、正しい側にいる人たちではなくって、集金広告を効果的に行いたい人たちである。

 こう現代的な構造を知っておかないと、常に、集金広告に汚染された自由意志が、国民全体を覆ってしまうことになる。現代の中心的な価値感は「たくさんの集金を行えている企業はすばらしい」というものである。このメッセージが、マスメディアのあらゆる部分を通して語られる。

 また「たくさんの集金ができている組織はすばらしい」ということにもつながる。たとえば、公務員組織。そして、「集金力の高い組織に所属することができることがすばらしいという価値観」につながっていく。

 国民全体が、この観念にとらわれ始めたとき、その国民の力が弱くなっていくのは、目に見えたことだ。集金広告に対して、心は非常に弱くなり、集金広告を配信するものたちを、崇敬し、大衆は、偶像に向かって、狂信していく。そして、手の届かない妄想にとらわれ、実際の手の力は弱くなり、敗北する。

 社会は常に狂っているが、狂っているものたちが、資金を極端に多く持ち、集金広告をたくさん出向することができると、その狂気を、常識や普通といった価値観に変換することができる。多くの人が狂気の中にいる社会では、狂人が、常識人なのである。そして、正しき人は、狂人なのである。

 神は、金を集めない。神は、自分自身で自律しているからだ。集金広告にとって、神は邪魔者であり、それを語ることは、集金の邪魔となる。もちろん、偽りの神を集金のために語ることはある。けれども、それは、集金のための神であって、自律しておられる神ではない。

天を仰ぎ,見て,
雲を眺めよ。それが本当にあなたよりも高い[のを]。


たとえあなたが実際に罪をおかしても,[神]に対して何を成し遂げられよう。
また[たとえ]あなたの背きの罪が実際に増えても,[神]に何を行なえるだろう。


たとえあなたが実際に正しくても,[神]に何を与えられよう。
あるいは,[神]はあなたの手から何を受けられようか。
(ヨブ 35:5-7)