サタンの系譜は、純粋なイスラエルの聖典からは始まらない

 サタンの最初の登場は、どこでしょうか。「創世記の蛇じゃないかな」。そう思いますか。けれども、この蛇をサタンというためには、サタン自体がすでに登場していないといけないと思いませんんか。

 僕は、前回の記事で、ヨブ記は、律法書とは独立しており、サムエル記以降に、イスラエル聖典に取り入れられたと書きました。そして、サタンの初登場は、ヨブ記になります。

さて,[まことの]神の子らが入って来てエホバの前に立つ日となった。サタンも彼らのただ中に入った。
(ヨブ記 1:6)

 つまり、サタンの起源は、イスラエル人の聖典ではなくって、ヨブ記なのです。サムエル・ダビデが生きた時代に至るまでは、イスラエル人は、サタンについて、何も知らなかったのです。

 そして、イスラエルにとっては、サタンという言葉は、サタンというひとりの存在を指すよりも、イスラエルに対する抵抗者という意味で利用されるようになります。

それから,サタンがイスラエルに逆らって立ち上がり,ダビデを駆り立ててイスラエルを数えさせようとした。
(歴代第一21:1)

わたしに敵対する者(サタン)たちとなりました
(詩編31:9)

 創世記から、裁き人までを読んで下さい。そこには、エホバは存在しても、サタンはいません。

 僕が言いたいことは、もしヨブ記が存在しなかったとしたら、イスラエルは、サタンという存在を、自身の聖典内に取り込まなかったであろうということです。

 ダビでは、東洋人あるヨブが描かれたヨブ記と、自身の祖先であるモアブ人のルツを、イスラエルではないのにもかかわらず尊重しました。東洋人ヨブが書かれたヨブ記と、モアブ人であるルツの起源が書かれたルツ記を、イスラエル聖典に取り込みました。

 ダビデの時代に、小規模ながらイスラエルは、自身の聖典として、異邦人の物語を取り込んだのです。イエス・キリストは、迎え入れる他の羊もいるといったのは、異邦人のことでしたが、異邦人を迎え入れるというモデルは、ダビデに、学んだものなのでしょう。