ヨブ記が引用され始めるのは、サムエル記から。

 ヨブ記は、聖書の真ん中らへんにありますが、成立年代は、もっと古く、モーセ五書と同時代になります。そして、ヨブ記が引用され始めるのは、サムエル記からとなります。

 つまり、以下のようにつながっています。

「創世記 - 出エジプト記 - レビ記 - 民数記 - 申命記 - ヨシュア記 - 裁き人の書」
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   | 「ヨブ記
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  「サムエル記」

 ヨブは、創世記から裁き人の書を知りませんし、モーセは、ヨブを知りません。モーセは、イスラエル民族のために書物を書いています。イスラエル民族と神との関係を扱った話です。一方、ヨブは東洋人であって、ヨブ記の話は、ヨブの神の個人的な関係を扱っています。

 サムエル記というお話の中心は、ダビデの話です。サムエル第一で、サウルからダビデへ王が交代する話が書かれます。そして、サムエル第二で、ダビデ王の話が書かれます。詩編を読めば明らかですが、ダビデは、ヨブ記から詩的な表現を、引用しています。

 裁き人の時代までは、ヨブ記は、知られていなかったのに、ダビデの時代には、ヨブ記が、聖書として認識されています。ダビデは詩的な人ですが、その表現がどこから与えられたかといえば、きっとそれは、ヨブからでしょう。ヨブも、非常に詩的な人だからです。

 ここで考えられうことは、ダビデの時代に、一度、聖書の編纂があったということです。モーセの書物に加えて、ヨシュア記、裁き人の書、ヨブ記、そして、ルツ記が、聖書に加えられます。ルツ記も非常に特殊な書物です。なぜなら、ルツは、モアブ人だからです。ヨブは東洋人、ダビデの母方の祖先であるルツは、モアブ人です。

 つまり、サムエル記の時代に、聖書は、イスラエルのみをルーツとしたものではなくなり、ヨブやルツの話が、聖書に加えられることになります。

 異邦人を迎え入れたのは、イエス・キリストであると考えられていますが、そのルーツを考えれば、異邦人を迎えれ、それに高い価値を与えたのは、ダビデです。イエスは、自分をダビデにたとえていますから、イエス・キリストは、ダビデの行いを、意識しているのです。