ものみの塔協会の広告手法の研究

 ものみの塔協会のバックには、世の中の企業である、宗教コンサルトがいます。宗教コンサルタントは、どのような手法を使えば、人々を、宗教の信者にできるかということを、常に、ものみの塔協会に教えてきました。

 研究用ものみの塔の雑誌の中には、古典的な広告手法、心理的な誘導テクニック、営業の手法が満載です。これらの、世の手法に対して、聖書的に裏づけをすることによって、エホバの証人を行動に促すようにできています。

 その広告手法を、少しづつ、ここで解説していきたいと思います。これらは、テレビ広告、テレビ番組などでも、頻繁に利用されている手法です。現代社会は、過剰な広告によって、人々がコントロールされる社会です。広告手法を理解することによって、それらから、あらかじめ心を守ることができます。

 人々の心を動かすということが実証されている言葉が、ものみの塔協会の出版物には登場します。それらの言葉を、少しづつ紹介しています。

「最高の価値」 - 特別なものに人々は惹かれる

パウロの患難は,どのような意味でエフェソス人にとって「栄光となる」のでしょうか。試練に遭ってもエフェソス人に奉仕し続けたいというパウロの覚悟は,クリスチャンとしての特権が重要かつ最高の価値があるということを,エフェソス人に印象づけました。
(ものみの塔2013年 2/15 28p)

 「最高の価値」「特別なもの」「最上の価値」という言葉は、人々を、自分は、最高のものを手にしているのだという錯覚に陥らせることができます。普通の人々は、常に、自分と他人を比較することによって、自分の価値を見出そうとしています。

 他人が持っていてない特別で最高の価値を自分が手に入れたという気持ちは、自分の心を喜ばせます。これは、他人と比較して、自分は優れたものを選択したという優越感をくすぐるのです。

 広告手法のひとつは、優越感をくすぐることです。たとえば、高級品は、他人と比べて、自分はおしゃれだ、よいものを持っている、セレブに属するという優越感を生じさせます。広告は、この優越感をくすぐることによって、その人の心を喜ばせます。

 しかし、それは、本当は錯覚です。他人と比べて自分は優れているという優越感は、偽りの幸福なのです。どうぞ自分の心が、優越感によってくすぐられていないかチェックしてみてください。

他人と比較しないことにこそ、幸福がある

 聖書は実際に何を教えていますか。それは、他人と比較する幸福ではなく、自分に関して、幸福があるということです。

むしろ各人は自分の業がどんなものかを吟味すべきです。そうすれば,他の人と比べてではなく,ただ自分自身に関して歓喜する理由を持つことになるでしょう。
(ガラテア 6:4)

 自分が特別であるという自負によって、自分を他人と比べて、幸福としていませんか。もしそうなら、それが、打ち壊されたとき、あなたは、ぼろぼろになってしまいますよ。

 他人と比較してではなく、神との関係において自分の心、自分の行動を吟味すること。このことが大切です。