「1914年」は、イエスが臨在し終わりの日が始まった年ではなく、何の意味も持たない年

ものみの塔協会の解釈では、1914年にイエスが臨在し、終わりの日が始まった

協会の解釈は、こんなふうです。

  • 1914年に、エスが臨在するようになった。
  • 1914年に、終わりの日が始まった。

エスの臨在とは、見えない形で、もうすでにエスはやってきているという意味です。終わりの日の始まりとは、協会の解釈では、サタンが天から落とされた日のことです。それが、1914年に始まったといっています。

エスの到来は、まだであり、それは将来の一度だけだ

協会は、臨在という言葉と到来という言葉を分けて使いますが、聖書では、二つの言葉は、時期については、特に使い分けられてはいません。ニュアンスが少し異なるだけです。臨在には「来てとどまる」というニュアンスがあります。

エスは、まだ来ておらず、それは将来のある日です。

人の子は,自分の使いたちを伴って父の栄光のうちに到来することに定まっており,その時,各々にその振る舞いに応じて返報するのです。
(マタイ 16:27)

「終わりの日」とは、復活がなされる将来の日のこと

「終わりの日」とは、復活がなされる将来の日のことです。

わたしは,自分の意志ではなく,わたしを遣わした方のご意志を行なうために天から下って来たからです。わたしにお与えになったすべてのもののうちわたしがその一つをも失わず,終わりの日にそれを復活させること,これがわたしを遣わした方のご意志なのです。というのは,子を見てそれに信仰を働かせる者がみな永遠の命を持つこと,これがわたしの父のご意志だからです。わたしはその人を終わりの日に復活させます」。
(ヨハネ 6:38-40)

エスが語る「終わり」とは、この体制の終わりの日のことであり、イエスが到来し、裁きを行い、死んだ人を復活させる日のことです。

苦しみが終わる日は、まだ先なのです。