光が闇であったらどうしますか

 たくさんのことが魅力的に思えます。たくさんのことをしたいという気持ちになります。すべてのことが許されてればなんて自由なのだろうと考えます。でもちょっと考えてみましょう。

 自動車やバイクを運転するときにもっとスピードを出したいという気持ちに駆られてきたとします。スピードを出すことは格好がよく、風になったような気持ちになります。友達にも速く走ることを自慢げに語ることもできます。

 でもこれは果たして良いことでしょうか。実際には人を危険に巻き込んでいるのではないでしょうか。

 世の中が提供するものはきらびやかに輝いて見えます。けれども、それは本当に安全なものでしょうか。人を間違った方向に導いているという可能性はありませんか。正しく思えることでも、それは本当に正しいのでしょうか。

 心の中のに抱いているものは本当の意味で光り輝いていますか。

 イエスはこういいます。

あなたのうちにある光が実際のところ闇であれば、その闇はどんなにかひどいことでしょう。
(新世界訳聖書 マタイ6章23節)

 光だと思っているものは、本当は闇であったなら、それはどれだけひどいことでしょう。

 良いものを見ていると思っていたのに、たどり着いた場所はとてもひどい場所です。良いことを聞いていると思っていたのに、たどりつくとひどい騒音です。面白いと感じていたのに、たどりついてみるととても退屈です。これはとてもひどい状況です。

 では本当の光とはなんでしょうか。それは聖書で学ぶことのできる真理のことです。これを知れば人生は意義深く、本当によいものになります。本当の喜びで心が満たすことができます。