彼らの祈りをさげすまれません

 祈るという行為に、皆さんはどんな印象を持っておられますか。祈って意味があるのだろうかと感じる人、祈ったことはないという人、難しい状況が生じれば祈るという人などがおられるかもしれません。

 祈るという行為は人間だけに見られるので、不思議な行為だと感じる人もいるかもしれません。

 エホバの証人にとっては、祈ることはとても大切です。祈りはエホバと意志疎通をしたり、近づいたりするために重要です。

 エホバに祈りを捧げてから、物事を決定するというプロセスをとることで、神のご意志にそったものであるかということをよく考えて決定することができます。

 また、辛い状況が生じたときに助けを求めるために祈ることもできます。助けを求める人の祈りをエホバはさげすまれたりしません。

[神]は、[すべてのものを]奪われた人たちの祈りを必ず顧みてくださり、彼らの祈りをさげすまれません。
(新世界訳聖書 詩編102編17節)

 この聖句では、エホバは必ず顧みてくださると書かれています。奪われた人、つまり奪われて窮乏や苦境に陥っている人のことですが、そういう人の祈りを必ず聞いてくださると書かれています。

 辛い状況に陥ったときに、話を聞いてもらえる人がいると安心できるという経験をした方は多いのではないでしょうか。聖書では、創造者であり、力の強い方である神が、祈りを通じて話を聞いてくださるということを教えています。

 いつでも安心を与えてくださる神について聖書から知ってみたいと思われませんか。もし雑誌をエホバの証人から受け取っているのであって、聖書に関心が多少あるならば、ぜひ聖書研究に応じてみてください。

 より深い神の知恵によって、人生を充実したものにすることができると思います。