自分の理解に頼ってはならない

 わたしたちは生活をしていると、さまざまな選択をする場面があると思います。たとえば、どの学校に進学するかですとか、どの職業に就職するかですとか、結婚しようかどうかですとか、いろいろと考えます。

 日々の小さな決定も毎日行います。インターネットを見ようか、読書をしようか、スポーツをしようか、友達と遊びに行こうか、早く寝ようかなど、日々考えます。

 でも自分は一体何を基準にして日々の選択をしているのだろうかと考えてみたことはありますか。そんなことを考えるのは面倒でしょうか。

 きっと多くの人はこんな感じじゃないでしょうか。

 人に迷惑をかけないで、自分の好きなことをやろう。みんながやっているから自分もやっても恥ずかしくない。みんなが楽しんでいる方法で楽しもう。あんまり難しく考えないで、今日を楽しく生きよう。

 この考え方に疑問を感じない人もいれば、疑問を感じる人もいると思います。

 本当にこの考え方でうまく生きてこれただろうか。自分中心という考え方のせいで世界はうまく回っていないのではないだろうか。実際は多くのストレスを抱えてきたのではないだろうか。

 こんな疑問を持っている人は聖書を読むとよい答えが得られるのじゃないかなぁと思います。そんな思いが強まってきたときは一度聖書を勉強してみると、とても有意義な考え方をえられるのじゃないかと思います。

 聖書では決定をするときに自分だけの考えを持つのではなくて、神に依り頼みながら考えると、その道筋を正しくしてくれるというアドバイスがあります。

 心をつくしてエホバに依り頼め。自分の理解に頼ってはならない。あなたのすべての道において[神]を認めよ。そうすれば、[神]ご自身があなたの道筋をまっすぐにしてくださる。
(新世界訳聖書 箴言3章5,6節)

 自分の観点ではなく、神の観点からみてものごとを考えるようにすれば、神はその人に対して良い導きを与えてくださるということです。

 神は信頼ができ、頼りがいのある方なので、その方が導きを与えてくださるということは心強いことです。