「特権」という言葉を聖書で調べる
特権という言葉について調べてみました。聖書にでてくるのは全体を通して3回です。
キリストに信仰を働かせることが特権ということの意味
あなた方には,キリストのために,彼に信仰を置く特権だけでなく,彼のために苦しむ[特権]も与えられたからです。
(新世界訳聖書 フィリピ人への手紙1章29節)
キリストに信仰を置くことと、キリストと共に苦しむことが特権と呼ばれています。またその特権は(おそらく神から)与えられたものとして語られています。
わたしたちの神と救い主イエス・キリストの義により,わたしたちと同じ特権としての信仰を得ている人々へ
(新世界訳聖書 ペテロの第二の手紙1章1節)
キリストに信仰を働かせることが特権と呼ばれています。またここでも、特権は(おそらく神から)得たものとして語られています。
どのような意味で特権なのでしょうか。キリストに信仰を働かせるということは、永遠の命を得るということの条件になっているということがあげられます。
信仰というのは永遠の命を得るためのチケットになっています。
たとえば、土地を買う権利について考えてみましょう。土地はまだ購入していませんから、まだ入手していません。けれども、土地を買う権利を持っていれば、ある時期が来たときに、土地を購入することができます。
聖書では、これと類推して、永遠の命を得る権利について書かれています。なぜそれは特権、すなわち特別な権利なのでしょう。それは、考えるとあたりまえのことですが、それが永遠の命という、とても貴重なものだからです。
ですから聖書でいえば、特権とは、「とても貴重なものを得ることができる権利」のことです。それで、キリストに信仰を働かせるということが、永遠の命を得るための権利にあたるのです。
またなぜ苦しむことが特権なのでしょうか。それは、イエス自身が「最後まで耐え忍んだものが救われるものです。」と述べたことに関係していると思われます。
つまり苦しむことも、救い、永遠の命を得るための権利となっています。
日本語の特権とは意味や印象が異なります
日本語の語感で「特権」という言葉を使ったとき、そのイメージはあまり良くないものです。たとえば、「自分の力を高める」ですとか、「他の人と比べて優れている」というイメージがどうしてもあるからです。
特権を手に入れるという言葉を語ったときに、たとえば、高い地位を手に入れるという印象があると思います。このような意味で特権を求めるとすれば、確かにそれは、聖書ので書かれている考えとはまったく異なるものになってしまいます。
聖書の教えは、他の人と比較してではなく、自分と神との関係を大切にしましょうというものだからです。
もし日本語の感覚で特権という立場を求めれば、その特権意識は人間同士の間で縦社会を作ってしまうのに役立つでしょう。
特権を求めるという意味が「他人と比べて自分が優れているという感覚を求める」ことであれば、クリスチャン会衆は間違った方向に歩んでしまいます。
聖書が教えている特権というのは、上でも述べましたが、「永遠の命を得ることができる貴重な権利」という意味で、イエスに信仰を働かせるということに関係して語られています。
そしてこの権利は、イエスに信仰を働かせる人すべてに与えられるものです。ですから、縦の意識をもたらすものではなくて、すべての人に対して公平な権利になっています。