復しゅうの業を行われる神
エホバは愛の神ですが、愛の神ゆえに裁き主でもあります。エホバは裁きを行う方です。
こんなたとえで考えてみるとわかりやすいのではないでしょうか。
日本では大きな犯罪を犯した人は、裁判所で裁判を受けます。裁判では、弁護士は容疑者が有利な判決を受けるように弁護しますし、検事は罪の証拠を調べて裁判官に有罪を求めます。
最終的に裁判官は、その人に対して罪を言い渡します。大きな罪を犯した場合は、大きな刑を与えます。
裁判という制度は何のためにあるのでしょうか。大きな役割は公正を維持することではないでしょうか。
たとえば、殺人を犯した人は、その対応を支払う必要があります。罰金か自分の生活、国によっては命を支払う必要がある場合(つまり死刑)もあります。
よく考えるとこれは法律の中で正しいことを行っている人を守るための仕組みです。正しいことを行っている人と悪い人を行っている人が同じように扱われるとすれば、正しいことを行っている人は法律を守るということに意味を見いだせなくなるのではないでしょうか。
エホバ神は愛のある方ですから、正しく生きたいと願う人たちを守りたいという愛の気持ちを持っておられます。それゆえに正しく生きたいと願う人に代わってエホバ自身が不法を行うものに対して裁きを執行します。
復しゅうの業を行われる神、エホバよ、復しゅうの業を行われる神よ、輝きでてください。
(新世界訳聖書 詩編94編1節)
エホバが裁き主であるということに対して悪印象を持ってしまいますか。ではエホバが裁かなければだれが裁くのでしょうか。
わたしたちは人間による裁きが世界中で悲惨な結果をもたらしていることを知っているのではないでしょうか。戦争、民族紛争、独裁政権、経済的搾取、あふれるポルノ、児童買春。
エホバに裁きをゆだねるということが、人間にとって最善の選択肢です。エホバご自身が代わりに行ってくださるのです。
ですから、神に対して悪い感情を持つのではなくて、愛の神ゆえに裁きを行うということをしっかり認識する必要があります。