死は最後の敵
たくさんの宗教は死についての見解を持っています。
日本では人は死ぬと霊になって生き続けるですとか、人は死ぬと仏や神になって生き続けると考えることが多いのではないでしょうか。
また死は美化されることがあります。たとえば武士道では死に美を見いだしてきました。現代のドラマや漫画、戦争映画などでも死を美化して描かれることが多いのではないでしょうか。
聖書は死をどのように考えるでしょうか。聖書は率直に死は敵であると述べます。
最後の敵として,死が無に帰せしめられます。
(新世界訳聖書 コリント第一15章26節)
死は最後の敵と呼ばれています。
正直なところ死はどのようなものでしょうか。自分に死が迫ったとしたら、死にたくないと考えるのではないでしょうか。人が死ぬと悲しい気持ちになります。
病気も苦しいものです。病気になったときは、楽しむことが難しくなります。病院での生活がよいとは誰も感じないでしょう。
実際のところ、ほとんどの人にとって病や死は悪いことももたらす敵ではないでしょうか。医学が病や死に打ち勝とうとしているのは、それを敵と認めているからではないでしょうか。
人間は最初死を迎えることはありませんでした。神と共に命を楽しむ予定だったのです。けれども、アダムが犯した罪のために、死が人間に入り込みました。
病気や死という状態は、最初の人類が犯した罪のために存在するようになりました。
しかし、エホバ神は死をなくすことができます。エホバ神だけがそれを行うことが可能です。イエスに信仰を働かせるものに永遠の命を与える約束をしています。
皆さんも死がなく悲劇のない世界に生きたいと思われませんか。最初にあった命を楽しみたいと思いませんか。