第一でありたいと思うなら、みんなの奴隷でなければなりません

 一般的に、地位を持っている人というのは、周りの人たちに対して威張ったとしても、表立って非難をされることはありません。

 競争を勝ち抜いてお金や名誉を持っている人は、一目おかれます。

 反対に社会的地位の低い立場についている人たちは、尊敬されることはありませんし、不公平な扱いや差別をされがちです。

 社会全体で、幸福になるためにはお金や地位が決定的な要素だと考えさせるように、さまざまな手段を使って個人個人に働きかけます。

 多くの人が権力への意志を持っていて、高みに上ろうと苦闘しているのではないでしょうか。

 イエスは「支配者は威張って他の人に権威を振るっていますが、クリスチャンはそのような考え方をしてはいけません」ということをいわれました。

 一番でありたいと思うなら、何が必要でしょうか。イエスはこういいます。

 あなた方の間ではそうではありません。だれでもあなた方の間で偉くなりたいと思う者はあなた方の奉仕者でなければならず,また,だれでもあなた方の間で第一でありたいと思う者はみんなの奴隷でなければなりません。
(新世界訳聖書 マルコによる書10章43,44節)

 奴隷は主人に対してどのような振舞うでしょうか。主人に対して、きつい言い方をしたり、文句をいったりはできないのではないでしょうか。

 また、奴隷が主人に対して、権威を振るったり、威張ったりすることはできないのではないでしょうか。

 ではクリスチャン会衆で、長老などの教える立場にある人はどのように振舞う必要があるでしょうか。

 この聖句を当てはめるならば、クリスチャン会衆の成員に対して、威張ったり、高圧的になったり、いらだったりせず、仕えるものとして奉仕する必要があるということです。

 もし長老であるならば、自分の立場を利用して、相手の考えを言わせないようにしたり、無理やり従わせたりしようとするということはありませんか。

 クリスチャン会衆に対して仕える者として奉仕しているということを忘れないようにすれば、自分の良くない傾向と闘うのに有益かもしれません。

 自分より地位の高い人の前でだけ謙遜になるのではなく、エホバとイエスのみ前で謙遜であるということが会衆を築き上げることに役立つことでしょう。