食べものや飲み物は神が与えてくださった喜ぶべき貴重な賜物

 僕たち人間は神のような霊的な存在ではないので、生きてゆくために食べることや飲むことが必要だ。そしてうれしいことに、ただ食べて栄養を補給するだけでなくて、食べることを楽しむことができる。

 おいしいものを食べるととてもうれしくて、楽しい気持ちになる。エホバ神は舌をただ食べるだけではなくて、食べ物を楽しむことができるように造られた。とても感謝できる。

 食べたり飲んだりすることが、そのまま悪いということではないし、霊的なものはよくって、物質的なものは程度が低いという考えではない。

 エホバが人間に与えた創造物は、すべて目に見えるものだからだ。エホバが求めておられるのは、慎みを持って神と歩むということで、そのなかにはエホバのご意志にそった形で、創造物を楽しむということが含まれている。

 イエスの弟子であるパウロは霊的なもののほうが高いような言い方をするけれど、それはこの世は過ぎ去りつつあるので、過度に物質的なものに関心を向けるよりは、霊的なものをたくわえましょうということだ。霊的なものは永遠の命のための蓄えになるからだ。

 でもそれは、物質的なものを悪い見方で見て、霊的なものを良い見方でみましょうということは意味していない。

 エホバはこういわれるからだ。

 また、人はみな、食べ、まさしく飲み、そのすべての骨折りによって良いことを見るべきであるのを知るようになった。それは神の賜物なのである。
(新世界訳聖書 伝道の書3章13節)

 僕たちが、新しい世が訪れるまでの間、神から与えられている良いもの(物質的なものと霊的なもの両方)を楽しむことは,エホバのご意志だ。

 人間はパンだけでも生活していくことができないけれど、霊的なものだけで生活していくこともできない。またエホバは人にそのようなことを期待してもおられない。

 イエスも伝道活動をしながら、食事をする機会をもっていました。

 エホバの創造物を食べることや見ることや聞くことによって喜んでほしいと願っておられる。創造の7日目に神はそれはとてもよいものとしてご覧になりました。

 だから、慎みを持って神と歩むという点で、食べすぎや飲みすぎ、遊びすぎには注意する必要があるけれど、食べることを楽しむということは神の目から望ましいことだ。人間にプレゼントしたもので、僕たちが楽しむことを望んでおられる。

 「講演者や巡回監督の食事招待だけはよいもの」という形式的な視点にならないことを祈ります。