アダムは女性を見て感激する

 最初の人アダムは、神の造られた楽園で動物たちと共に生活をしていました。たくさんの木の実があり食料は豊富にありました。

 川も流れていて、資源として金(きん)も豊富にあったほうです。さまざまな動物たちもいるので、アダムは動物に囲まれて生活していました。

 アダムはすべての生き物に名前をつけていきましたが、生活に少し満足することができません。なぜなら、アダムのための本当の助け手が、動物たちの中には見いだされなかったからです。

 エホバ神は人が一人のままでいるのはよくないということを知っておられました。それで、アダムが眠っている間にアダムの肋骨をとって、それを女性に形作りました。女性の始まりです。

 アダムは本当の助け手を見いだしました。そして感激して叫びます。

 これこそついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。
(新世界訳聖書 創世記2章23節)

 この聖句の意味は、「まるで女性は自分の体のようだ」という意味です。つまり助け手として最高だという意味になると思います。

 このときアダムと女性エバは、共に裸のままでしたが、恥ずかしくは思いませんでした。本当の助け手を見つけたアダムは、女性エバとしばらくの間幸せな生活を送ったことでしょう。

 アダムにとって、女性は神からの賜物でした。同じように僕たち男性にとっても、女性は神からの賜物です。夫は妻に愛を示します。

 共に生活をしていく上で助け手となってくれる妻に本当に感謝をします。メンタル面、身体的な面で弱い部分を考慮に入れます。女性はこうあるべきとは思わずに、現実的な考え方をして、優しく接します。

 僕たち男性は、女性をどのような目で見るでしょうか。現在は異性への視点が最もゆがんでしまっている時代だと僕は感じます。

 アダルトビデオやポルノ雑誌といった女性を辱める娯楽がたくさんあります。きれいな人やスタイルの良い人はもてはやされます。気がつけば男性は、女性の外見ばかりを見る風潮になってしまいました。

 反対に女性はどうでしょうか。結婚を競争のように考える風潮があると思います。女性は、よい職業、よい地位や名声を持っている人と結婚したいと思うようになりました。また男性を比較して比べるような風潮になってしまいました。

 これはとても良くない風潮だと僕は感じています。聖書を学んでいる、エホバの証人ですら、影響されずにはいられないからです。

 罪を犯す前のアダムとエバのように、異性を神からの賜物としてみることができるでしょうか。女性の外見だけを見るのではなく、さまざまな良い面を見つけることができるでしょうか。男性を比べるのではなくて、その人の良いところをみつけることができるでしょうか。

 異性が神からの賜物であるということを知るとき、僕たちは今までの見方を改善することができるかもしれません。