聖書の登場人物とイエス・キリストとの類似点と相違点

 聖書を読むことが難しいと感じておられる兄弟・姉妹は多いのではないでしょうか。クリスチャ・ギリシャ語聖書のほうは比較的読みやすいけれど、ヘブライ語聖書になると読むのは5倍くらい大変です。

 僕は聖書を繰り返し読んでいますけれど、研究生だったころにヘブライ語聖書を読むことはとても大変に感じました。

 聖書を繰り絵して読むたびに読み方を工夫しているのですが、その中でも楽しい読み方に、聖書の登場人物をイエス・キリストと比較しながら読む読み方があります。

 たとえば、アダムは完全な人でした。イエス・キリストも完全な人でした。これは、アダムとイエスの類似点です。

 またアダムは神の言葉を信じることができませんでしたが、イエスは信じて忠節を保ちました。これはアダムとイエスの相違点です。

 このように聖書の登場人物とイエスの似ている点や、異なる点を考えながら聖書を読んでいくと聖書を楽しく読むことができます。

 今日は僕が理解している範囲内で、さまざまな登場人物との類似点や相違点を書き出してみたいと思います。

アダムとイエス

 パウロはイエスのことを最後のアダムと呼びましたが、アダムは神によって初めて創造された完全な人間です。イエスも神によって創造された完全な人間です。完全な人間という点では、イエスとアダムは同じでした。

 アダムは神の言葉に信仰を働かせずに、サタンとエバの言葉を信用しました。その結果人類全体に罪と死をもたらす結果になりました。イエスは、サタンと人間の伝統を退けました。ご自身がアダムの罪を贖った結果、人類全体に永遠の命を持つ機会を開かれました。

 完全な人間アダムは「罪」と「死」をもたらしたのに対して、完全な人間イエスは「罪の贖い」と「命」をもたらしました。

モーセとイエス

 モーセはエホバの預言者イスラエル国民と神の間に立つ仲介者でした。モーセは神の言葉を聞いて、それをイスラエル国民に伝えました。エホバとイスラエル国民の間の律法契約を仲介したのはモーセです。

 一方イエスも、エホバと人類の間に立つ仲介者です。わたしを通してでなければだれも父のもとにくることはできませんといわれたので、エホバと人類との間に立つ方であるということがわかります。モーセイスラエル国民に律法をもたらしましたが、イエスは人類に過分のご親切をもたらしました。

 モーセは律法契約の仲介者、イエスは新しい契約の仲介者です。

 より優れた過分のご親切が到来したために、優れたものであった律法は廃棄されることになりました。

 モーセは王の子どもとしてのエジプトでの豊かな生活を後にし、エジプトで奴隷となっているイスラエル国民の救い主となりました。モーセイスラエル国民をエジプトから脱出させることに成功しました。

 イエスは神の子供として、天での豊かな生活を後にして、罪の奴隷となっている人類全体の救い主となりました。イエスは人類全体を罪と死から救出する手立てとなってくださいました。

 モーセは一度エホバの信頼を裏切ってしまうことを行ってしまいましたが、イエスは最後まで忠節を保ちました。

アロンとイエス

 アロンはイスラエル国民の中にあって大祭司という役割を担っていました。大祭祀というのはエホバのみ前で民からの捧げものを備えたり、罪の贖いのための捧げ者を捧げたりする役割を果たしました。動物の血を民に振り掛けることによって、罪の許しが与えられました。

 また天幕の中の至聖所に入って、エホバへの捧げ者を捧げることができたのは大祭司だけでした。

 イエスもメルキゼデクのような大祭司であるということがパウロによって語られます。イエスが捧げた犠牲は、ご自分の完全な体そのものでした。人類の罪の許しのための犠牲にご自分がなられました。信仰を働かせることによって、比ゆ的にイエスの血は、僕たち人間に振りかけられるので、それによってのみ完全な罪の許しを得ることが可能になりました。

 イエスは天に復活なさるさい、人間の手で作った天幕にある至聖所ではなく、天にあるエホバが造られた至聖所に入られました。

 アロンは金の子牛の像を作ってエホバを怒らせましたが、イエスは偶像からはまったく離れて歩まれました。

ヨシュアとイエス

 ヨシュアはエホバが約束されたカナンの地へ向かっていきます。カナンは約束の地であったのですが、はなはだしい罪を犯しているカナン人が占領しています。

 ヨシュアイスラエル国民の代表者として、カナンの地の征服を完了しました。その結果神に対して罪を犯し続けたカナン人は滅ぼされる結果になりました。

 イエスは今準備をしておられ、エホバが人類に与えた地球を救おうとしておられます。地球はエホバが人類に与えた贈り物だったのですが、今や地球や人類をはなはだしく損なっている者によって、地球は支配されています。また神の目からみてはなはだしく罪が多い状況です。

 イエスは神の王国の王として、サタンとサタンにつくものたちの征服を完了するために、(見えない様ですが)地球にこられます。

ダビデとイエス

 ダビデはエホバによって油注がれたイスラエルの王様でした。ダビデは勇敢で、エホバに忠節を保ちました。

 イエスもエホバによって油注がれた神の王国の王様です。聖書預言では、ダビデの王座が誰に渡されるのかということが注目されていましたが、エホバ神はご自分のみ子であられるイエスを人類の王として選定されました。

 ダビデの王としての支配は長くは続くことはできませんでしたが、イエスの王としての支配は永久に続きます。またイエスの支配は完全なものでとても優れたものです。

 ダビデは、バテシバと姦淫を犯してエホバに対して罪を犯してしまいましたが、イエスは人間として地上にこられたさい、罪をひとつも犯さずにエホバへの忠節を保ちました。

ソロモンとイエス

 ソロモンはその治世中にすばらしい平和をイスラエル国民にもたらしました。またイスラエルは非常に富んでいて、物質的にも食料にも困ることはなかったようです。ソロモンという名前自体が平和を意味しています。

 イエスは神の王国によって、永久に続く平和を地上にもたらします。楽園の地では食料不足はありませんし、エホバの創造物で豊かに満たされます。イエスイザヤ書の中で「平和の君」と呼ばれています。

 ソロモンは異国の地からたくさんの妻をめとって、晩年は背教に至りましたが、イエスは罪を犯さず最後までエホバに忠節を保ちました。

エリシャとイエス(エリヤとバプテストのヨハネ)

 エリヤはエリシャにわたしの2倍の奇跡を行うということを伝えました。バプテストのヨハネは、自分はイエスのサンダルの紐を解くにも値しないといって、イエスが自分よりもはるかに優れたことを行うということを暗示しました。

 エリシャはエリヤのあとを継ぎました。バプテストのヨハネは、イエスが来る前にイスラエル国民の道を備えるという役目を果たしました。

 エリシャは、病を癒し、死んだ人を復活させ、食料を十分に備える奇跡を行いました。イエスも、病を癒し、死んだ人を復活させ、食料を十分に与える奇跡を行いました。

エレミヤとイエス

 エレミヤはエホバの預言者で、エルサレムの滅びと回復の音信を述べ伝えるようにとエホバから言われました。エレミヤは熱心な伝道者でその生涯、迫害を受けながらも熱心に述べ伝えました。そして預言は成就して、エホバの言葉が果たされるということを示しました。

 イエスも、地上にこられたときに、滅びの音信と回復の音信を両方伝えました。イエスも熱心な伝道者で、村から村へ旅をしながら神の王国を熱心に述べ伝えました。そして、僕たちはその預言が成就するということを確信することができます。

終わりに

 こんな風に登場人物を眺めてみると、イエスとの類似点と相違点をたくさん発見することができます。そして、イエスは本当にヘブライ語聖書を実際に目で読んで、理解しておられるのだということが発見できます。

 イエスは、聖書を読み、集会で教え、伝道にでかけ、神の言葉を成就させるために行動し、弟子や友と食べたり飲んだりしてご自分の時間を過ごされました。僕たちもイエスに見習うときに本当に充実した生活を送ることができます。