イエスは悪行者を許してもらえるよう神に祈る

 もし悪いことをしていないのに、自分が悪く言われたとしたら、腹が立ったり怒りに満ちたりするかもしれません。

 だれかの態度に対して、大きな不満を抱いている場合は、なんて愛のない人なんだろうと感じることがあるかもしれません。

 イエス・キリストという人は、何の罪も犯していないのに、当時のユダヤ人の支配者階級から悪く言われて、最終的には処刑されることになります。

 それなのに、イエスは、裁判にかけられている間、自分を処刑した人たちに対して腹を立てたり、自分のことを悪く言った悪行者に対して、不満を抱いたりしませんでした。

 イエスの右と左には、共に処刑される悪行者が、イエスと共に杭につけられています。ひとりの悪行者はイエスのことをあしざまにいったりもします。

 けれどもイエスはこの死のふちの極限の状態にあったときにどのような祈りをしたと思いますか。イエスの苦しみが限界に達しようとしていたときに、何を祈り求めたと思いますか。

 イエスは悪行者が神に許されるようにということを祈り求めました。

 しかしイエスはこう言われるのであった。「父よ、彼らをお許しください。自分たちが何をしているのか知らないのですから」
(新世界訳聖書 ルカによる書23章35節)

 イエスは、悪行者が誤った道を歩んでいることを自分で理解していなかったので、エホバに許しを祈り求めました。僕たちも祈り求めることができるでしょうか。

 たとえば、誰かが自分に対して嫌な態度をとったとします。自分は嫌な思いがします。でももう少し考えて見ましょう。エホバとの関係を損なっているのは、自分と嫌な態度をとったその人のどちらでしょうか。

 自分はエホバのために苦しみを受けたので、何一つエホバとの関係を損なってはいません。嫌な態度をとった人は、愛がかけているために、エホバとの関係を損なってしまっています。

 僕らはその人を恨んだりするのではなくて、イエスにならって、その人のためにエホバに許しを求めることができます。

 自分に嫌なことをいった人を許すのはなんと難しいことでしょう。でもエホバを信じて、イエスを模範とするならば、それは可能になります。エホバに不可能はないからです。