「イエスを通して」という言葉の意味を調べる
僕たちは祈りをするときに必ず含める言葉があります。「イエス・キリストを通して、エホバにお祈りします。」という言葉です。
集会などの前後で行うお折りには、必ず「イエス・キリストを通して」という言葉が入ります。でもこれってどういう意味でしょうか。きちんと考えたことはありますか。
もしかしたら個人的にお祈りするときには、イエスを忘れてエホバだけに直接お祈りしていたりはしていませんか。すっかりイエスを忘れてしまっていることはありませんか。
エホバはみ子イエスをとても大切にしておられます。イエスは、エホバのそばでずっと長い間共に働いてこられました。エホバは、み子イエスを通して、たくさんの物事を行ってこられ、これからも行われます。
ではイエスはどのようにエホバと共に働いてきたのかを見ていきたいと思います。
エホバはイエスを通して創造を行われる
まずは創造の初めのことです。エホバは決して一人で働いていたわけではありません。たった一人で、宇宙や地球、人間を創造されたわけではありません。
創世記にはこうあります。
次いで神は言われた、「わたしたちの像に、わたしたちと似た様に人を造(ろう)」。
(新世界訳聖書 創世記1章26節)
ここで神は「わたしたち」という言葉を使っています。エホバ神以外に誰かが一緒に働いていたということです。はっきりしたことはわかりませんが、おそらくみ使いたち、その中にはもちろんイエスも含まれていたことでしょう。
使途パウロもこんなことを言っています。
なぜなら、[他の]すべてのものは、天においても、地においても ... 彼(イエス)によって創造されたからです。
(新世界訳聖書 コロサイ人への手紙 1章16節)
なんとここでは、創造はイエスによって行われたとパウロは言っています。
そうです聖句をあわせて考えると、エホバ神はイエスをもちいて創造の業を行われたのだということが理解できます。
エホバ神はイエスを通して創造のすべてを行われました。イエスはとても一生懸命働いたことでしょう。イエスは忠実な働き人だったのです。
エホバはイエスを通して神の目的をお伝えになる
エホバは、イスラエル国民に対して人間の預言者によって長い間、神の言葉を伝えてきました。けれども、その終わりにはイエスを用いて、神の目的をお伝えになりました。
イエスは、エホバの言葉を伝えるメッセンジャーとして、地上にいる間、働かれました。今神の目的を伝える役割は、僕たちにゆだねられています。
イエスは宣教を開始されるときこういいます。
定めのときは満ち、神の王国は近づきました。
(新世界訳聖書 マルコによる書1章14節)
イエスは、宣教期間中、神の王国について宣べ伝えました。神の王国が成し遂げること、自分は神の王国の王であることを、証していきました。
何のためにイエスは宣べ伝えたのでしょう。ひとつは、エホバのご意志を果たすためでした。イエスはずっと神と共に歩み、神と共に働きました。父であるエホバをとても愛していました。
わたしがあなた方にいう事柄は、独自の考えで話しているのではありません。わたしとずっと結びついておられる父が、ご自分の業を行っておられるのです。
(新世界訳聖書 ヨハネによる書14章7節)
イエスは、自分独自の考えで話しているのではなくて、常に父であるエホバの業を行っているのだということを協調します。このことからも、エホバはイエスを通して、神の目的を宣べ伝えたということがわかります。
エホバはイエスを通して人類の罪からの救出を行われる
アダムが、エホバに対して罪を犯してしまったため、人類は救出の見込みのない罪の状態へと落ち込んでしまっていました。
アダムの失われた完全な命は、アダム以後の不完全な人間の命では、補うことができませんでした。愛のある父であるエホバは、救出の方法を準備しておられました。
それはご自分の愛するみ子であるイエスを通して罪の代償を支払うということでした。
パウロはこう述べています。
キリストが聖書にしたがってわたしたちの罪のために死んでくださった,ということです。
(新世界訳聖書 コリント人への第一の手紙15章3節)
イエスによる贖いの犠牲は、神の過分のご親切でした。人が犯した罪の代償を、ご自分の愛するみ子によって、支払われたからです。
たとえば、考えてみてください。自分の家の財産を盗んで逃げた強盗が、警察につかまったとします。強盗は、あなたに罪を犯しました。あなたは、その強盗のために、保釈金を支払おうと思いますか。そんな愚かなことは絶対しないと思います。
でもエホバは、それを行ってくださいました。罪ある人類のために、罪のないイエスの命を差し出してくださったのです。それで、これは親切という言葉以上の意味をこめて、過分のご親切と呼ばれています。
神の愚かな知恵は、人間の優れた知恵に勝っているのです。
このように、エホバはイエスを通して罪からの救出の手段を人類に備えました。
エホバはイエスを通して人類を統治される
エホバはイエスを神の王国の王として任命しました。イエスには、エホバからすべての権威を与えられました。
イエスは近づいて来て,彼らにこう話された。「わたしは天と地におけるすべての権威を与えられています。
(新世界訳聖書 マタイによる書28章18節)
もちろんイエスが神になったというわけではありません。イエスは最後にはすべての権威をエホバに返すからです。
イエスは人をとても愛していました。イエスは人間としてさまざまな困難や苦難を経験し生きました。エホバはイエスを人間を治める王として任命しました。
わたし(イエス)は優れた働き手として[神]の傍らにあり,[神]が日々特別の親愛の情を抱く者となった。わたしはその前で常に喜び,その地の産出的な土地を喜んだ。そして,わたしが親愛の情を抱く事柄は人の子らに関してであった。
(新世界訳聖書 箴言8章30,31節)
エホバは、イエスが人の子ら、つまり人間をとても愛しているのをそばで見ておられました。
エホバは、イエスを通して人類を統治するということにされました。
エホバはイエスを通して、裁きを行われる
裁きもエホバはイエスを通して行われます。
わたしが宣明する良いたよりにしたがえば,神がキリスト・イエスを通して人類の隠れた事柄を裁く日に,このことはなされます。
(新世界訳聖書 ローマ人への手紙2章16節)
イエスを通して神から人へ、人から神へ言葉や霊が届けられる
祈りもそうですが、神への言葉はイエスを通して、神のもとに届きます。イエスは、人の言葉を神に伝える働き人として働いておられるからです。
イエスは、神の言葉を人間に伝えにきましたが、反対に、人の言葉を神に伝える働きもしておられます。
パウロはこのようにいいます。
イエス・キリストを通してわたしの神に感謝をささげます。
(新世界訳聖書 ローマ人への手紙1章8節)
またイエスは、人間と神との間の平和を保つ働き人としても働いておられます。
わたしたちの主イエス・キリストを通して神との平和を楽しもうではありませんか。
(新世界訳聖書 ローマ人への手紙5章1節)
また聖霊もイエスをとおして、エホバは豊かに注ぎだしてくださいます。イエスは、人間と神の間の経路としてずっと働いてこられました。
[神]はこの[霊]を,わたしたちの救い主なるイエス・キリストを通して豊かに注ぎ出してくださったのです。