神は確かにわたしの祈りの声に注意を払ってくださった
もし聖書研究をしていておられる方が見てくださっているとしたら、神を知るために、祈りをしてみることを僕はお薦めしたいと思います。
知識として聖書の内容を理解できても、祈りが実際に届くのだという確信がないと、エホバの存在をなかなか実感することができないからです。
特にご主人さんの場合や男性の方の場合は、祈りを難しく感じている人が多いようです。本当に祈りは聞かれるのかわからない、また聖書的にきちんとした生活をしていないから祈りをするのがためらわれるといった理由のようです。
それでも、信じて祈ってみることがエホバを知る近道になります。どんな祈りでもかまわないんです。たとえば「妻とうまく話し合いができますように」という祈りや、「子どもが間違った道を歩みませんように」という祈りでもぜんぜんかまいません。
病気のときに「どうか助けてください」という祈りでもよいでしょう。
いまいち神に祈るということがわからないときは、自分の願っていることを神の前に注ぎだしてみてください。
信じて祈れば、エホバは必ず助けを与えてくださるからです。時間がかかるかもしれません。でも確かに支えを与えてくださいます。それまで、あきらめずに祈り続けてみるのはどうでしょうか。
詩編の作者も神が祈りを聞いてくださった感動をこのように歌っています。
神は確かに聞いてくださった。
わたしの祈りの声に注意を払ってくださった。神がほめたたえられるように。[神]はわたしの祈りを退けず,
また,その愛ある親切をわたしから[退けられなかった]。
(新世界訳聖書 詩編66編19,20節)
神はご自分を求める者すべての近くにおられ、実際に祈りを聞いてくださる方です。ひとりひとりの必要を顧み、それぞれの状況に合わせた助けを与えてくださいます。
奇跡を起こして助けてくださるということは今日ではありませんが、聖霊をもちいて勇気や知恵を与えてくださったり、聖書の言葉をよく理解できるよう助けてくださいます。クリスチャンの仲間をもちいて、助けてくださるということもあります。
イエスは「たゆまず祈りなさい」といわれました。ですから、祈れる機会があるときには、いつでも祈ってみることは助けになります。